2020年7月25日土曜日

大橋家にあるもの


気をつけないと、
頭も、気分も、意地も、失くすまいと年がら年じゅう用心している心意気まで、
冷えこんだ霧雨みたいなやつに、とりこまれてしまう。
さいわい1人ぐらしじゃないからいいけど、お手上げだ。

よく思うんだけど、
人の表情を見て、笑顔とまではゆかなくても、微笑らしきもの、温かい顔の輪郭、
その人からこっちに移ってくるものって、いつも、そばにあったんですよね。
私たちが、政治家から奪われたものって、自粛とマスクで失ったものって、
それじゃないですかね。
あとそれから、おちついて簡単で、よくわかる日本語かなあ。

このあいだ大橋家へ行った。
杖代さんとMr.と。おふたりにあえてとてもよかった。
8月の22日に豊ヶ丘地区市民ホールで、読書会を開く予定だって。
「新書探検」読書会の2回目なんだって。
おもしろかったですよ、と杖代さんが言った。
帰ってそれを話すと、「新書ってどういうの」と息子にきかれた。
「新書とか文庫とか、単行本とか。本の形態の区別につかうことばよ。
うちの2階の本棚の上から2段目はぜんぶ新書でしょ」

私も むかし、同じような質問を父にしたことがあった。
父の答えはこうだった。
「一種の、かたちを変えた百科全書だな、そんなもんだ」
母が編集者なのでうちは岩波新書だらけ。子どもでも新書はわかる。 
・・・新書探検なんてきくと、1冊が百科全書の1項目かぁスゴイなぁ。
あらかじめ読んでくると参考になる新書はこの3冊、ううむ・・・。

ところがですよ。
 Mr.作成の新書探検読書会の「案内」を読むと、
「語り合う読書会を」とあって、
         読むことよりも、話し合うことを
         新書は、ノンフィクションの書き下ろしが多い
         テーマはその時代の最先端のものが多い
         新書の読者は専門家じゃなく一般大衆である
       そして、なんと、         
         読んでこなくてもいい読書会

なんかこう、動脈硬化気味のあたまが、わわわあっと、うごくのかも。
読まなくて、聴いてるだけでいい。もしかしたら、結果、新書のどれかを、
手に取って読んでみようかな、という気になるのかもしれない。
杖代さんがおもしろかったって言ってるし。
このひと、ウソつかない人よね。
私にとっては、この、
自分におきる脳ミソの革新現象が大橋家の楽しさですが、いつだって。