2015年8月31日月曜日

国会デモ、怒りと悲しみの日本人


地下鉄・国会議事堂前・4番出口。
外に出たら、なんと30日は車道にまでデモ用通路がひろがっていた!
歩道の真ん中を柵で区切って半分にし、安全のためだとアナウンスしてた警察が、
そんな命令を引っ込めざるを得ない何かが起きたらしい。

新たに車道に設置された柵に寄りかるようにして、
年配の人たちが、辛抱強く傘をさし、シュプレヒコールを繰り返している。
小雨に濡れるのもかまわず、生垣や道路の縁石に腰かけてあるいは立って。
そんな年寄りは多い。おだやかで悲しそうで、悩んだ笑顔の。

たぶんシールズが代表する若い人たちの怒りのデモは、国会議事堂の正面につめかけ、
そこまで行けない人間が大勢立ち尽くす首相官邸側の国会周辺道路・・・。
国会正門へ、抗議集会が行われているところまで、なんとか行きたい。
しかし混雑でどうにもならないし危険だと集会側のヒトも言い、警官も言う。
信号も渡れはするけれど、すぐ歩道を警察が分断閉鎖しているから遠回りの連続。
どうにもならぬ。

メールで尋ねてみると、国会図書館近くにいた友人から、
「酸欠と蒸し暑さと足が痛いのとで、新橋行きのバスにやっと乗って」
と返信があった。彼女は骨髄異形成症候群なのに憲法を守れと抗議に来たのである。
もう一人の友人は永田町の議員会館前の歩道にいると知らせてくれたけれど、
たどり着けそうもないから合流をあきらめる。

創価学会を名乗る人たちが、公明党の戦争協力に抗議している。
怒りもあらわに署名活動をしている。
山口・公明党参議院国会対策委員長を反戦の側に引き寄せましょうと叫んでいる。

坂本龍一さんが群衆に向かって話す。
この人は咽頭ガンのため療養中だから、それはもう有名なことだから、
みんなが、彼はどんな話をするのだろうかと、スピーカーに耳をかたむけるのである。
スピーカーから聞こえる遠い声は枯れて低い。
たぶん、顔色も悪いのだろう。
群衆と病気の音楽家が、このままならぬ人生を、共有している・・・。
政治家とちがい、アーティストの言葉には、彼の人生の真実が見え隠れする。
それが彼らの仕事の根幹なのだから。
老いた私たちの後悔の多いくらしが、坂本さんのイメージに伴走して、
ひととき、人間的ななにか、
ともに苦しんだ思い出のような、それが降る雨にからむのだ。

国会議事堂は国会議事堂だけど、ここは無機質な裏切りでいっぱいの空間だけど。

1960年安保の時代には、こういうことは考えられなかった。
55年前に日本人をつき動かしたものは、真っ直ぐな怒りであった。
戦争が終わって15年。反戦。占領軍への嫌悪。天皇制軍国主義者に対する憎悪。
若い国家だったということもある。
戦争が終わった時、男の平均年齢は23・7歳、女性の平均寿命は34歳だった。

当時、
日本をそんな国にしてしまった後悔は、
死んだ兵士や二度の原爆投下による被爆者たち、国土に加えられた大空襲で死んだ
大勢の弱い者が、引き受けてくれたのだろう。
私など高校2年生。怒っているだけの、見通しも何もないニンゲンだった。

戦後70年の現在。過去の犠牲の上になんとか生きてきたと思いながら、
なぜ自分たちは日本をこんな国にしてしまったのだろう、という個人的な気持ちが、
老いた人々を2015年の石畳に座り込ませている。
動かないぞという気持ちのなんという多さ、悲しさ。
一億総中流なんぞと思わされて。

子ども6人に1人が貧困児童という国。
新学期には子どもの自殺が増えるという残酷な私たちの国家、日本。
三権分立の崩壊、
原発再稼働、独裁、アメリカ追随のあげくの戦争願望国家。

きょうのデモンストレーションに12万人が参加したとアナウンスがあった。
そんな規模なのかどうか、いま立っている場所ではわからない。
本当なんだろうか。しかし、ウソで戦いに勝てると誰が思うだろう?
憲法学者や弁護士や研究者や自由業者、学生と教職員が続々参入しているいま?

考えてみれば、これが今日の
老人たちの怒りと後悔から延々と続いてきたデモの
重要な一面ではないか。
ほそぼそと続けられた金曜日のデモが、3000人に満たないという日もあった。
シールズの登場をどんなに歓迎したか、続く壮年層と若年層の参加にどれほど喜んだか。

70代、80代の人たちはデモの歩道で、
「もう棺桶に片足つっこんでるから」と笑ったりして、
リューマチの、ガンの、手術の、心臓に入れたペースメーカーの話をしている。
枯れ木も山の賑わい、とにかく抗議デモに数としてカウントされたいと言っている。
長い闘いになるのだから、猛暑だから、雨だから、無理はできない、しないと思っている。
やせてもかれても1票の選挙権保持者だという誇りもある。
なんとかして自分の病気をなだめて、また国会議事堂で行われるデモに参加できるよう、
今日をやり過ごすのだ。

また、私はここに来る。
不実な国会に抗議しに、何度でも。
そう思っている。

たぶん今日の抗議参加者は12万人より大勢なのである。
2015年の抗議行動は流動型である。
自由に参加し自由に帰宅。はやく帰る人もいる、遅くやってくる人も多い。
5時を過ぎても国会議事堂前4番出口に、個人参加の人が階段を上って現れる。
あとからあとから。しかも階段はここだけじゃない。階段の数は多い。



2015年8月30日日曜日

猫のブローチつけて


朝からくたびれて、しびれたような感じ。
昨日は自動車を運転、夜の12時半に池ノ上から帰ってきた。
それからご飯を炊いて、午前2時に寝る。
今朝はタケシが10時半までに結婚式場に到着してないといけない。
アサくんがヒトミちゃんと結婚するのだ。飯田橋で。

ロマンチックに見えるかも、とわきによけておいた健の衣類にアイロンをかけ、
でっかいギター・ケースを下げた息子を駅まで送る。
見送って、ハンドルをぐるりとまわし、ああ家にかえるの、もうめんどくさいっ。
今日は8月30日。安倍内閣の「ウソいい加減」に抗議するため、
午後から国会議事堂へ友人と行くつもり。、私は戦争反対だから。

雨が降ってる。
くたびれ果てた。
もうトシだほんとにと、ビショビショ曇天の空をにらむ。
なんでこんなだいじな統一行動の日に降るのか、雨よきみは。
このごろいつもこうじゃない? それもじゃんじゃん降るなんてさあ。

私は、なにがなんでもケーキとコーヒーをどっかで飲んでやると、
多摩市から八王子市のカフェまで行き、手持ちの文庫本などそこで飛ばし読み、
それから家に戻って、ガゼルのダンスのkanako帽子をかぶってみる、雨よけになるかと。
緑の帽子はぶかぶかだけど、国会に行く気だもんね、私は。
そうだ!!、健が昨日買った礼美ちゃんのネコのブローチがあるじゃないの!

これはすごいと私は思って、黒猫の布製ブローチで、
チクタクtikutaku、帽子を縫い詰めて、あおい眼の黒猫を帽子にくっつけ、
昨夜会ったみんなの顔など散々思い浮かべ、
国会議事堂に抗議に行く人は、背後に大勢の友達がいる人だと、
元気をだすことにした、疲労は無視すればいいやと。

緑の帽子は暖かく、ずっしりと、しかし優しげに軽い。


2015年8月27日木曜日

ミッションインポッシブル/ローグネイション


ご存じトム・クルーズ製作・主演のシリーズ最新作を映画館で観た。
息子がチケットを買ってくれて。

映画ですけど。
座席に張り付いたほどビックリしてしまって、うわっ凄いこわいよとそればっかり。
どうしてトムが、いやもといイーサン・ハントが、あっちともこっちとも戦うのか、
そのあっちがアメリカでこっちがイギリスでしょ、そうだけど悪人善人入り乱れて、
どっちの国のだれを信用していいのかさっぱり。
なにゆえトムがどこぞの美人スパイの裏切りを許すのか、
美人がまたトムを一度は裏切ったくせにその都度ヘルプ(という感じ)しちゃうのか、
おたがい恋愛になりそうな気配が全然ないせいか、 どうも解せない。
そのわけを私なんかが考えてもムダだと結論したが、
さっぱり分からないから、凄まじいアクションと壮大な仕掛けに見入っているうち、
眠りそうになってしまった。努力は買うけど強弱がほとんどないもの、
テンポ単調のゆえか、緊張の果ての疲れゆえか、見ててぼんやりしてしまう。
だけど見てしまうのよ、退屈どころの騒ぎじゃないから!

このシリーズを最初に観たのは健がまだ小学生の時だった。
歌舞伎町、たしか? あの時は、私なんか、もっとよくわからなかった。
子どもたちみんなと暮らしていたころ。勉と遥とみんなで映画館に行ったのだ。
親の自分より、小さい健が「ミッション」とやらを理解しているらしい、と茫然としたっけ。

・・・そう、トム・クルーズもトシをとったのだ、とヘンところで嘆息。

だって。全事件が無事終息、収まったとき、くだんの美女がこう言うんだけど、
「探せるでしょ、私を」と色っぽく。
しかし、トム、もといイーサン・ハントは、この美女を探さないだろうなと。
なんかこう、もうアクションで精一杯、くたびれ果てたって顔。
ロマンスまで手がまわらんよ、という気持ちが大画面の中年トムのアップにありあり。
あんなにきれいな優れものの色っぽいスパイなのに・・・。

健に映画館の外に出てからきいてみたら、
なにがどうしてこうなったのか、もう観ている間中、わからなかったと言った。
かあさん、眠くならなかった? ときくので、ついふきだす。
「眠くはなったけど、私はこらえた」
「オレもまあ、なんとか居眠りとまではいかなかったけど」
図らずも、眠ってはだめだと、二人とも思ったわけである。
お金を払って映画館で眠るなんて分不相応だ、ということもあるけど。
一方、あんなにありとあらゆる努力をするトム・クルーズになんだかほだされちゃって。

いいじゃないか、まあ。
それでトムが大金持ちでいられるなら。
べつにファンでもないのにそう思っちゃって。

2015年8月24日月曜日

エンマコウロギが鳴く


明け方の暗い庭で、コウロギかキリギリスが、鳴いている。
まだ心もとない鳴き方で、ソロである。
饗場(えんば)コウロギがなまって、閻魔(えんま)コウロギ、日本でいちばん多い種だそう。
パソコンで「コオロギ」と検索すると、鳴き声まで入っている。

パソコンの再生音声がガラス戸越しに響きわたる。
・・・・ひとわたり機械のコオロギが鳴く。本物にソックリである。
でも、そうしたら、庭のどこかにいるほんもののコウロギが鳴かなくなってしまった。
機械音は短い間でしかなかったのに。

コウロギは気を悪くしたのだろうか?
それとも饗場コオロギは大きな閻魔コウロギにいばられて、
おそれいって逃亡したのかしら。
多摩市の交通取り締まりの警官にわけもなく脅される普通の人みたいに?

つまらないことをしたものだと思う。
キリギリスなのかコオロギなのか知りたかっただけなんだけれど、
パソコンみたいなもので饗場コウロギを圧迫してなんになる?
学校の宿題じゃあるまいし、名まえなんか放っておけばよかったと思うなー。

 

2015年8月23日日曜日

夏のフィナーレ、走り書き


土曜日は団地の夏まつり。
暑いのに都合により11時開始の4時終了。
朝もはよから準備して。

でも楽しくてとてもいい日だった。
ふつうの日には、通りがかりにどなたかと親しく話すってなかなかできないものだ。
でも自主管理組合主催のお祭りならば、
何人かの方と、別にたいした話というわけでもないけどお話ができる。
それはとても楽しい。
食べるモノは豊富にある、飲み物にも不自由しない。
いまさらながら、ありがたいことである。
そう、食料が豊富にあるということ。楽しみながら自由に自分で食べている現在。
お祭りにサンダルを履いて歩いてきて、少しは手伝いもでき、からくも健康!
お酒を飲みながらかき氷、鉄板の上で焼いたイロイロをとっかえひっかえ食べる。
キャベツ、茄子、椎茸、イカ、鶏肉、豚肉、焼きそば、その他その他、である。

まー暑いのにだんだん人がふえてくる。成人して独立し結婚し子どもがうまれ。
娘や息子の家族がこんな暑い日なのに実家のお祭りに参加してくれて。

私がてんこ盛りになった自分のお皿とビールのコップをそこらの台の上にドンと置いたら、
「いやあ、あなたは100才まで生きますよ」
食べ方を見ればわかる、と言われてしまった。いやになっちゃったなー、もう。
そんなに食べられませんと言ったのに、山ほどお皿にのっけられた野菜と焼き肉なのよ。
老紳士たちが生ビールをじゃんじゃん、もう何杯もお代わりしている。
あの人も、あの人も100才まで生きる人だ、女性は長生きするんだからと言っている。
めでたいことです、とか言いながら笑っては飲み、笑っては飲んでいる、開放的である。
30年も続いた「夏のフィナーレ」、
このお祭りを子どもたちのために考えた初代住人たちは、
壮年をすぎ、退職という節目を各人が迎え、老年に至り、いま日常を作り直している。
亡き花松さんが「夏のフィナーレ」というモダンな名まえを自慢してたなあと不意に思う。
ここに引っ越してきて当番理事になったとき、とてもお世話になった方だった。

壮年期働き盛りのパパたちが、鉄板の前でがんばって働いてくれている。
寡黙で、親切で、ものやさしい、かしこそうな人たち。

今年、焼きそばの係りを私は引き受けたんだけど、猛暑に勝てず、
とうとう息子に手伝いを頼んだ。そうしたらタケシがОJくんにも頼んでくれた。
ふたりは10時半からやってきて、団地の焼きそばの「大師匠」にコーチされ、
焼きそば、焼きそば、焼きそば、焼きそば、を作るという一日。
私たちの管理組合はもともと男性主導のめずらしいような集まりで、
参加者も全体としたら男性が多いのではないか。
仕事以外のノンキな集まりで、年配の男の人たちの中に入る一日って、
若者ふたりにとっては、けっこうめずらしい体験だったのではないか。

あーあ、お天気がものすごい。
テントの中とはいえ、鉄板の前に腰かけて、もう半日もたったかと思う。
いま何時ですかときいたらなんとまだ午前中、11時55分でしかなかった。
うわー、これで4時までどうやって頑張るんだろうか、とびっくりした。
鶴三句会の俳句の先生、三國さんが終始、生ビールの係りをされた。ずーっとである。
明日になったらノビてしまうのでは。供給する人と供給される人の両方が心配。
でもまっ、いいか。70、80ともなれば。楽しき自己責任、みんなも私だって。
運営責任をになった理事の方々、本当にお疲れさまでした。
ありがとうございました。



帰宅してから夕刊を見たら、
「世界の平均気温最高」の見出し。
アメリカ海洋大気局の、1~7月までの、分析結果である。
インドやパキスタンではこの夏、熱波による死者が計3千人を超え、エジプトでは今月、
百人以上が熱中症などで死亡したという記事。


2015年8月21日金曜日

武藤貴也衆議院議員 自民離党


私がこの人にまつわる話題の中で、一番腑に落ちないのは、
「値上がり確実な新規公開株を国会議員枠で買える」という彼の発言とお誘いである。

この発言は嘘じゃなくて本当ですか。国会議員は、与党に所属すると、
絶対に損しない未公開株を、国会議員枠で先に買えるんですか?
 

2015年8月20日木曜日

殺人


テレビを見ないので、私はいわゆるニュースに弱い。
今朝は女の人が男性を蹴り殺した、という話をきいた。
「女の人が?!」

女の子の死体が見つかって、一緒にいた男の子は一週間たっても行方不明。
大阪。中一。朝刊の記事を読んでいて、その話の続きだった。

「蹴り殺した女の人って若いの?」
ところが40代の、会社の女社長であるという。
・・・クルマの中で男性を蹴り続けているうちに、相手が心臓の発作を起こして死亡。

「女社長が蹴り殺すの? 殺されたのは若い男? 社員なんだろうね、きっと?」

なんて凄惨きわまりない話だろう。
会社という仕組みのなんという恐ろしさ。
調べてみたら、女社長は47才。死んだのはアルバイト社員で23才。

この話のオゾマシイところは、
23才が、社長に、生殺与奪の権利を、何から何まで握られていることだ。
自公民政権であれ、民主党政権であれ、今日の社会では、
運よく会社に雇われたら最後、ほとんどの人間が失業を恐れ、男であれ女であれ
精神と肉体に加えられる暴力に、抗議もできない、反抗もできない。

47才の女社長が若い男を死ぬまで蹴り続けることができたのは、
会社の経営者や上司の横暴を、断固として許さない社会的装置が基本ゼロだからだ。
文科省の施行する人権教育が根っから劣悪だからだ。
日本が、労働基準法なんかクスリにもしたくない、経営者優先の社会だからだ。
労働組合は、会社が雇った者を蹴り殺す、そんな理不尽を払いのける防波堤である。
でも労働組合なんて、御用組合しか見たこともない人が多いと思う。

あんまりだ。

女社長の人格の欠損というだけの話にしてしまわないでほしい。
鬼畜、というこれから彼女に被せられるであろうベンリな文字が浮かぶ。
死んでしまった23才は、殺されてもしょうがないほど人間存在としては弱かったのだと、
そういう報道をされるのだろうか、それが気持ち悪い。


2015年8月19日水曜日

夜と女と毛沢東


 
高崎で朗読の練習がはじまる寸前、小沢清子さんがポンと文庫本を手渡してくれた。
「読んでる最中じゃないの?」ときいても「いいから」という。

辺見庸と吉本隆明・・・
なんだって。よれよれの文字がいたずら書きではなくて、タイトルなんだ。
なんだって? 夜と 女と 毛沢東?
きこちゃんって、こういう本読むの?

夜と女と毛沢東。それとも、毛沢東 女と 夜と。そう読むのかしら?

はじめから終わりまで対談、という本だ。
たとえば。
辺見庸は吉本氏にこう言っている。
1997年のことである。

84ページ。
  そんな風景(タイの国境近く)を見て、ポッと東京へ戻ってきますでしょう。
山手線などに乗るとカンボジアで戦争してる奴よりよっぽど病的な目をしてるんです
目がですね、ドロリとしてるんですね。何をしたいのかわからない。
せいぜい会社へ行くだけ。会社へ行きたいというだけなんです。
行くようにさだめられているといいますかね。
日本の朝と昼の病理というのは凄いなと思いますね。

 名状し難いほど深い病理が正常、健全として認識されるわけだ、というふうに思うんですよ。
だから、何か突出したような物言いをしたときの叩き方は本当にすごいなと。

85ページ。
 朝、ものすごく早く起きて散歩したり、ジョギングしたりして、もう夜の九時ぐらいに寝るんじゃ
ないですか(笑)

 僕は最近、こう思うんですよ。
ファシズムというのは一般的な常識から言えば、一握りの軍国主義者たちが思想、言論、
何から何まで統制して軍国主義化してゆく現象だということになる。
だけど僕は案外、民主的な手続きを踏んで、円滑に進むファシズムもありうるなと思う。
これは僕の造語なんですが、「メディア・ファシズム」

 
・・・一見健全な昼の偽善のほうが、夜の病より病理としては深いということですかね、
といって始まる「夜」の項、辺見庸氏の発言である。


やだなあ、もう。かんべんしてほしいよ。
           朝ものすごく早く起きて散歩したりって、今の私じゃないの。
           うっかりすると夜の9時に眠っちゃったりさー。




2015年8月18日火曜日

高崎へ


高崎へ行く方法はいろいろあると思うけど、
私は一番安くて故障が少なさそうなJR湘南新宿線の鈍行で。
鈍どん…2時間。いちいち停まる。

きのうは初めてグリーン車、昔でいう2等車に乗った。
1000円で20円がお釣り。プラットフォームでスマホをつかって新宿-高崎間の料金を払う。
座席が上等だから、損じゃないと思う。
どこの駅だったか、枝ぶりのよい、柿のあおい実のすぐ横に列車が停まった。
青い実は青い葉影に、柿らしく、いくつもいくつも枝にくっついていた。
まだ子どもの柿である。
列車の二階席にのぼって腰かけたからこそ、柿の実と私は、隣同士ならんだわけだ。

それから、私はぐっすり寝てしまい、高崎にほどなく到着。
新宿から中野に行くほどもたいへんじゃなかった。

高崎駅で作家小沢清子さん(きこちゃん)と待ち合わせ。
きこちゃんが遅れてなかなか来ないとき、いつも私ってちょっとうれしい。
駅構内のひろい物産展と、その奥にある本屋が好きだからだ。
清潔だし、大げさじゃないし、それでいて近代的。
私は高崎に来ると、そこでいつも帰りの列車で読む本を買う。
時間によっては、買ったばかりの本を読みながら小さいカップの珈琲を一杯。

・・・昨日は二冊。
「戦争をしない国-明仁天皇メッセージ」と「山崎豊子先生の素顔」を買った。

「戦争をしない国-明仁天皇メッセージ」」はきこちゃんに渡す。
私はこの本の出版を、近来まれにみる言論人の快挙だと思っている。
読みやすいし、安倍政権に対する強烈なカウンターパンチだし。
ぜひ読んでほしい! 小学館。1200円。
買って、読んで、天皇家のファンのだれかに貸してあげてほしい。
野上秘書の回想録は、おととい出版されたばかりの、文芸春秋読者賞受賞作。
帰りの列車で読み始め、京王線に新宿で乗ってからも読み、寝てからも読み、
明け方に読み、朝食の前に読み、本日午前中に読了。おもしろいっ。

群馬県高崎市では、民話の会が8/22の土曜日、反戦童話「デイゴの花」を朗読する、
そのお手伝いをしたくて私は来たのだが、
さすが暗記して語ることが原則の集まり、お手伝いはこれで3回目だけれど、
その都度、ぐいぐいと技量を上げるみなさんの底力がやっぱりすごくたのもしい。

自分勝手な感想なんだけど、きこちゃんのお手伝いをさせてもらえて光栄だし、
そういうことがなんとかできる自分になったことにホッとしている。


2015年8月16日日曜日

8月15日・高円寺ドムスタ



パンクの長男の主催で、あきらかにパンクとはちがう系の次男も参加、
高円寺の音楽スタジオ、通称ドムスタで合計6ピースが、5時半からライブである。
それは、ヨースケくんの細君クミちゃんの一周忌に行われたライブだった。
彼女が亡くなって、あとにヨースケと子どものオースケくんが残った。
そのライブの会場に私などが参加できている、ということが不思議。

・・・しかし病気のクミちゃんとヨースケくんを励ますライブの時も、私はいたのだ。
こまったことに、 どっちの息子からもよく説明してもらってないから、
あの日会場で、ヨースケくんがクミちゃんとあいさつしに来てくれたのに、初対面だし、
誰なのかも、なんで有難とうなのかも、私はさっぱりわかっていなかった。

そうだ、あの時、彼女をひきとめて私は言ったっけ。
「あなたのダンナさんってたいした人だと思ったわよ、私。
演奏に人格というものがちゃんと見えてる、将来どういう人になるにしてもよ、
私、ほんとうに楽しみに待ってるから」
人混みの中、彼女を引きとめてでもそう言いたい何かが、あの日のヨースケくんの
グラグラした(?)演奏やもの言いにはあった。

・・・いま考えると、当然のことだった。

彼女は、ハスキーな笑い方をして、こたえた。
「ええっホントですか。うれしいです。そう言っていただけるなんて本当によかった。」
戸惑う笑顔が、雑多で騒然としたあの日の空間に、浮かんでいる。
進行しつつある事態をまったく認識しないままだった私の記憶の中に。

そのライブがあって、しばらくして、葬儀が行われた。

                            *

2015年8月15日のドムスタ。5時半。

どこの扉を押せばよいのか、私なんかにはわからない雑居ビルの三階である。
ワイワイぎゃんぎゃん、物凄い音量が厚い扉や天井のどこかから漏れ出て、すごい。
残暑なのか、蒸し暑い秋なのか、空気が毒々しい。高円寺って物語ふうの都会だ。
屋上に行けばと誰かに言ってもらって、そこで演奏をする何人かとスタートまで待った。
知ってる人も知らない人もいた。そよ風が時々なまぬるく吹く。どうしようもない。
やけくそで買って飲むんだけど、自動販売機の缶ビールだってぬるい。
太陽は西の空で、雲の下敷きになったまま動かない。

ライブが始まるとそれは楽しい日だった。
もうちょっとで40歳だとヨースケが演奏の合間に話す。
ヨースケとオースケとふたりで暮らす、その暮らしが細いねじ花のように、
彼の風情に浮かんでは消える。こどもオースケってきっと不幸じゃなく育っていくのだろう。
子どもの彼が会場にいないということもいい。
オースケは子どもらしい生活をして、クミちゃんがいないならいないなりに、
たくさんのことをヨースケと経験しながら男の子らしく大きくなるんだろう。

若さが国家政策の大失敗のもと進退窮まって、今や曲想にもみんなの表情にも
生活のかかったのっぴきならない切迫感がある。
しかし、こういう時にこそ音楽はドンチャン騒ぎをしながら逢魔が辻に迷い込み、
詩の領域に手をかける。
胸に迫る哀愁。我にもあらず浮上しはじめる音楽にこだわる人たちの哲学。

オースケは息子ごしに私もよく知っているマキタくんと一緒に作曲演奏した。
生活苦の反映だか、3曲で品切れなんだって。いかにもで笑える。ははは。
ドラマーがたいした腕だと私は思ったが、彼の参加は亡くなったクミちゃんに頼まれたから。
そこに陽気そのものみたいな闘い方のナガサワくんがこれから参加するときいた。
いいニュース、だれにとっても・・・。
私ってナガサワ氏とは、アページオブパンクの、解説仲間なんである。

時よ止まれ、おまえは本当に美しい、と言いたいような集まりだと思ったなー、私は。
陽気で、それでいて少しの遠慮があって。ざっくばらんなんだけどセンスがよくて。

・・・もういなくなってしまった人、クミちゃんの思い出のおかげをこうむって。
 

                      (ねじばなはねぢれて咲いて素直なり・・・・青柳志解樹)

2015年8月15日土曜日

金曜日のデモ


私はいつも思っていた。
どうしてこうも知り合いにばったり会う、ということがないのだろう?

ところが昨夜はエリちゃんに会った。
娘の学校友達が、一家総出でデモに参加したのだ。
別々の働き場所から、今日は金曜日だから国会議事堂前で待ち合わせしよう、と。
T家の父親の掲げ続けた論理の旗のもとに、である。
娘の中学時代からの、親同士の交際なので、
奥さんも参加、3人の青年になった子ども達も家族としてそこにいるということが、
私には本当にたいした、たいしたことに思われた。

家族でここに居るなんて。
そんなことは、今の日本人には不可能にちかいのではないか。

家族。
言葉というものは約束と私は思ってきたけど、ここに、
国会議事堂の「総理官邸前」という信号の下に、生きる約束がいま存在している。
これはもう、本当にたいしたことだと思わずにはいられない。
私は奥さんのガンコなセツコさんがむかしから好きだけど、ついつい叫んでしまう。
「いやあ、なに、あなたまでいるの!?」
 彼女は今夜がデモ初参加だそう。地味で静かな参加者だけど、一家総出の迫力って
すごいものだと思う。生活の歴史が確実に見えるたいへんな行為の連なり・・・。
だっていがみあわない家族なんてないでしょ。民主主義なんだから。


比べて安倍首相の「反省・おわび」の70年談話をいったい誰が信じられよう?
反省もお詫びもその場逃れの、嘘方便。
安倍の言葉と行為のうらはら無反省ここに極まれり。
ペラペラ、ぺらぺらともう。



2015年8月14日金曜日

うれしいことに、


うれしいことに、早朝4時半に目がさめる。

空を見れば灰色。秋かもしれない、もしかもしか。 これなら歩きやすいと、あたまがさっさと動く。
あたまが、まぐれでもさっさと動いたことがうれしい。たすかるなー。老人としてはよい成績じゃないの。しまってあった靴をだすと、すんなり履けた。よかった、これで今までの運動靴をブン投げて捨てられる。むかしの冬、河口湖畔で買ったスニーカーは、履きやすくてありがたい運動靴だったけれど、今やふくらんでしまってがたがたである。
外にでると、まるごと眠っているような家々。野性のユリが灰色の風にゆれていつか見たかったユメのよう・・・。タネが飛んでふえる幽霊みたいなユリの、白くて音がしない明け方ならではの風情。 
 風、風、風がふいている。
歩いて、坂をのぼり、そうして坂をくだり、むかしからそこにある遊動円木を歩いて渡る。

家にもどって、やおら朝食の用意をするなんて、うれしい朝だと思う。

きょうは金曜日。
なんとかして国会デモに参加するつもり。


2015年8月12日水曜日

元首相たちの安保法案反対


空気が毒々しくよどんでいる。
でも。

朝刊を読んだら、元首相たちが、5人も安保法案に反対である。
おや、民主党の野田元首相の名前がないのね。
野田元首相は無回答で、中曽根、海部、森、福田、麻生さん達とそろい踏み。
えーと小泉純一郎氏は「回答しない」という回答。

・・・「歴代首相に安倍首相への提言を要請するマスコミОBの会」の発表である。

回答したのは、非自民でもって政権代表となった人たちで、今も国会議員なのは
管直人さんだけ。


 

2015年8月6日木曜日

こんな日に原爆は落ちたのか


こんな日に原爆は落とされたのか。
こんなに暑い夏の朝。



 

草取り


草取りなんかできるはずがない、と自分は思うけれど、
通りに出れば、いやでも炎天下で働く人たちが目につく。
どうしてかといえば、息子も、かれのだいじな友達もこの熱気の下で働いているんだと
あの顔、この顔を思い浮かべるのである。
自由に基づくなにかを手放すまいとする若者に今年の夏はいっそう苦しいだろう。

年配の、老人がヘルメットを被って、工事現場の交通整理をしている。
今年の東京は沖縄よりもっと気温が高いそうで、遠目にも作業着の人は苦悶の表情だ。
東京都の都議会議員の政務活動費は都議ひとりあたり月額60万円だというではないか。
公布総額約9億1千万円。
議員さんって、このほかに各自月給が出るのですか?


にがい平和。
草取りをした。
小さな庭なのに雑草でごたごた。
まてよ。夕方だと蚊がブンブン私にまとわりつくんじゃないの?
私は目をすがめ庭を調べる。12時少し前なんだけど、柿の木の下には影がある。
柿の葉やアジサイの葉っぱが風に凪いでいる。

ああ、なんて鬱陶しくて暑っ苦しい庭になったのだろう!
涼しかった時もあったのに、私ときたらそのころは無気力どん底。
がんばって武装して、しいねはるかちゃんがくれたハーブの虫除けをぬりたくって、
帽子をかぶり、長ズボンにくつした、長そでシャツ、クビにはタオル。
熱気がたしかにすごいけど、虫除けと思って準備をするうち、だんだんヤル気になってきた。

カタキのように小笹を伐り、つる草を引っこ抜き、雑草諸君を引っぱって抜いて、
ごろごろしている植木鉢をならべ替えて、土を撒く。
庭仕事をしながら、ゆっくり思索にふけろうと空想したのであるが、
私は気が短くて生来単純だしドーンと暑い。思索なんかまるで出来なかった。
はびこる草がじゃまでじゃまで、それをビニール袋に突っ込むのにまー忙しくって。


2015年8月5日水曜日

現天皇の思想信条について語る本


ある日、約束の時間の一時間以上も前に目的の場所に着いたので、
それはそれでゆっくりできるから嬉しいと、新装の洒落た駅ビルの中にまよいこみ、
エスカレーターで登ったり降りたり、本屋さんにも行って、
とうとう一冊の本を手に取って買った。
120ページ、写真入り、1000円。
どこかでコーヒーを一杯飲もう。
そうしているうちに半分ぐらいは読んでしまえそうである。
「戦争をしない国」。おどろいたことに、明仁天皇メッセージという副題がついていた。

何年か前、オランダの遥のところに行った時、ハーグという街を見聞、
立憲君主制って、わが国の自由・民主党連続たらいまわし固定政権よりずっといい、
という感想を私はもった。
オランダ王家のベアトリックス女王がはためにも断固としてリベラルなのだ。
ナチスにオランダを占領され英国に亡命を余儀なくされた王家の人である。
資本家のなれの果てよりずっといい。ずっとマシ。

日本の天皇制はだれにとってもよくない息苦しく残酷な制度と思うが、
現・明仁天皇は、ヒットラー的自公政権より断固たる平和主義者である。
それはこの本を読めば、よくわかる。
「憲法遵守」「戦争反対」をいかに皇居に幽閉された「象徴」であるのにつらぬき通したか。

「戦争をしない国」ー明仁天皇メッセージ は、驚くべき一冊である。
「なぜ日本は基地と原発をやめられないか」の著者がまとめたというのも素晴らしい。
大々的に売ってほしい、買ってほしい、読みやすいし。
思うにやっぱり、このままでは安保法案は参議院を暴力的に通過してしまうだろう。

それでも本書は安倍晋三に対するカウンターパンチである。
時節柄、秀逸!

2015年8月4日火曜日

一週間ほど前の虹


夜明け、目をさまして、ごくごく水を飲んだ
東の地平にまだお陽さまがいるはずのない時間

コップをもったまま
ガラス戸のところへ行って空を見上げる

空は灰色のはず
小鳥も眠っているはず、まだ鳴かないはず

・・・ところが南の空が少し青くて
春の花のようにかわいい桃いろ

なぜかそこに大きな虹がいる!
どうしてかどうしてか、わからない天変?!

私がびっくりすると
少しの小鳥も気がついておどろいたらしい

囀る声もふだんとはちがう
どうやら小鳥ながらガイジン同士で意見交換

私は急いで外に出たけど、ああ虹はどこかに行ってしまい
東に赤い太陽がのぼり始め

今朝の空にそんなふうにもかわいい桃いろを見たという
幸福ばかりがまあるく心に残った

きっといいことがあると思ってうれしいと
虹を見た人が話しているのも素直がとてもうれしい朝だったのだ




2015年8月3日月曜日

傑作な体験


彼女は私より先にバス停にいた。日蔭に立って、汗だく。
私がバス停に行くと、むこうは銅像のように緊張。
ふとった女のヒトに悪い人はいないとなんだか思って、
「あついですね」
または、
「バスは(定刻に)来ないんでしょうか」
ふたりっきりなのに黙ったままだと息苦しい。
私がバスの悪口のほうを選ぶことにすると、たちまち 相手はいい感じにせせら笑って、
「遅れてくるんだわね、こっちが間に合わないと知らん顔で行っちゃうけど」
女ながらに渋い声である。
「そうそう」
それから私たちはうちとけて猛暑の品評に話題を移し、カユイ、ということになった。
毎日がなんだかカユイ。
うちにダニがいるのかもと私が自分の疑問をカミングアウトすると、
「ほんと!?」
彼女は本気になって、じぶんの家もそうかしらと考える顔になった。
そしてダニコロリみたいな薬品をまいてるけど効かないわよ、あれはねと言った。
ダニ用の殺虫剤が薬局に行っても見つからないと私が言うと、
「そうでしょう、見つからないでしょう?!」
私は笑いそうになっちゃって、
ダニはでも、噛まれた跡が二つ並んでいるからスグわかるじゃない、と言った。

おかしいのはそれからだった。
「それなら、いま、噛まれた跡があるんだけど」 と彼女が言う。
見せようかしら。おっぱいの下なのよ。
べつにへんな話じゃないしと、わさわさ、手荷物を持ち替えたりしている。
暑いのと、汗だくなのと、世間話なのと、バス停という公共広場なのと。
ヘンな話じゃないのかどうか、 ヘンだとしても断るのも水をさすようだし。
まあいいか。はははは。それで私は言った。
「そうね、見てみようかな。」
ふかふかしたギャザーのブラウスの下にふとった白いきれいな胴体・・・。
 じろじろ見たけど、バスがきたから、ダニの噛み跡までは見つからなかった。

なんだか最近はいい人が増えた、と思える午後だった。
武蔵小杉まで行くと私がいうと、彼女はすごくにこにこした。
いいところで懐かしいわ、と言ってくれたのである。


ブログ復活


朗読発表会のあと、ばったり文字を自分であやつることができなくなった。
パソコンに向かうこともできない。
早朝、私の場合5時ごろだけど目をさまして、今日こそは、と考える。
たとえばブログ。お世話になった人への手紙。
ところが次の瞬間、どうしてもできない、しないだろう、と思っちゃう。
脳みそにそういうスウィッチが設置してあるみたいだ。
計画をたてると、反射的にやりたくないかどうか、自分で自分に尋ねてしまう。

厄介じゃないの、まったくっ!
しかし、もがいても、あがいてもそうなるのだ。
いつからそうなったのか。
これは私だけの脳内パンクなのか?
ヒトにきくと、みんなが自分もおなじだという。

でもさあー。このくだらない自問自答をやめたら?

必死で思い出せば、最近の私には、いいところだってあった。
なによりも、朗読発表会をみんなで(二か月がかり)敢行したのである。
70人余の参加者、椅子がたりないほどの盛況。
人間関係の確認、幸福な思い出・・・。

いま私は、
掃除とか洗濯とかアイロンとか、それからご飯の支度とか。
買い物、各種支払、病人お見舞い、自動車の修理手配、などなどなどは、
無造作にやれる。会合にも行く。いつのまにか体調をとりもどしたのだ。
国会包囲デモにだって出かけた。戦争反対だからだ。独裁反対だからだ。
これがなんともできにくい時がもうずーっと続いていたのはなぜだろう。

ひところは、アイロンを掛けようとアイロン台までいくのに、
なんだか西公園の小山を登って降りて周囲をグルリと廻って歩こうというほどの、
それほどの決心がいったのである。
こういうことは、医師の診断によって服用していたクスリを飲まなくなったら、解決した。
クスリをやめたら、しだいに脳内のストップ機能が消失したのである。

まー、どんな雑誌にも本にも、新聞の健康相談にも、勝手にクスリをやめると死ぬぞと、
そんなふうに書いてあるから、いいのかわるいのか、こんな方法は。

運動は私ってすぐ挫折するから、ちょっとだけ、始めた。
運動はどうでもいい、とはどこにも書いてないし。
パソコンを二階から食堂に移して、やれやれ、ブログ再開。

 こないだの夕方、
あーあ、私はこれからどうしたらいいの?と聞いたらば、息子が私にこう言ったのだ。
カアサンとみっちゃんはいま人生の一番いい時にいると思うよ、ふたりともね。
そう、自分らしい人たちだよね。だから疲れてるんだろうけど、その気持ちは僕にもわかるけど、
生きてる限り、がんばって書かなきゃダメだよ。