2015年8月16日日曜日

8月15日・高円寺ドムスタ



パンクの長男の主催で、あきらかにパンクとはちがう系の次男も参加、
高円寺の音楽スタジオ、通称ドムスタで合計6ピースが、5時半からライブである。
それは、ヨースケくんの細君クミちゃんの一周忌に行われたライブだった。
彼女が亡くなって、あとにヨースケと子どものオースケくんが残った。
そのライブの会場に私などが参加できている、ということが不思議。

・・・しかし病気のクミちゃんとヨースケくんを励ますライブの時も、私はいたのだ。
こまったことに、 どっちの息子からもよく説明してもらってないから、
あの日会場で、ヨースケくんがクミちゃんとあいさつしに来てくれたのに、初対面だし、
誰なのかも、なんで有難とうなのかも、私はさっぱりわかっていなかった。

そうだ、あの時、彼女をひきとめて私は言ったっけ。
「あなたのダンナさんってたいした人だと思ったわよ、私。
演奏に人格というものがちゃんと見えてる、将来どういう人になるにしてもよ、
私、ほんとうに楽しみに待ってるから」
人混みの中、彼女を引きとめてでもそう言いたい何かが、あの日のヨースケくんの
グラグラした(?)演奏やもの言いにはあった。

・・・いま考えると、当然のことだった。

彼女は、ハスキーな笑い方をして、こたえた。
「ええっホントですか。うれしいです。そう言っていただけるなんて本当によかった。」
戸惑う笑顔が、雑多で騒然としたあの日の空間に、浮かんでいる。
進行しつつある事態をまったく認識しないままだった私の記憶の中に。

そのライブがあって、しばらくして、葬儀が行われた。

                            *

2015年8月15日のドムスタ。5時半。

どこの扉を押せばよいのか、私なんかにはわからない雑居ビルの三階である。
ワイワイぎゃんぎゃん、物凄い音量が厚い扉や天井のどこかから漏れ出て、すごい。
残暑なのか、蒸し暑い秋なのか、空気が毒々しい。高円寺って物語ふうの都会だ。
屋上に行けばと誰かに言ってもらって、そこで演奏をする何人かとスタートまで待った。
知ってる人も知らない人もいた。そよ風が時々なまぬるく吹く。どうしようもない。
やけくそで買って飲むんだけど、自動販売機の缶ビールだってぬるい。
太陽は西の空で、雲の下敷きになったまま動かない。

ライブが始まるとそれは楽しい日だった。
もうちょっとで40歳だとヨースケが演奏の合間に話す。
ヨースケとオースケとふたりで暮らす、その暮らしが細いねじ花のように、
彼の風情に浮かんでは消える。こどもオースケってきっと不幸じゃなく育っていくのだろう。
子どもの彼が会場にいないということもいい。
オースケは子どもらしい生活をして、クミちゃんがいないならいないなりに、
たくさんのことをヨースケと経験しながら男の子らしく大きくなるんだろう。

若さが国家政策の大失敗のもと進退窮まって、今や曲想にもみんなの表情にも
生活のかかったのっぴきならない切迫感がある。
しかし、こういう時にこそ音楽はドンチャン騒ぎをしながら逢魔が辻に迷い込み、
詩の領域に手をかける。
胸に迫る哀愁。我にもあらず浮上しはじめる音楽にこだわる人たちの哲学。

オースケは息子ごしに私もよく知っているマキタくんと一緒に作曲演奏した。
生活苦の反映だか、3曲で品切れなんだって。いかにもで笑える。ははは。
ドラマーがたいした腕だと私は思ったが、彼の参加は亡くなったクミちゃんに頼まれたから。
そこに陽気そのものみたいな闘い方のナガサワくんがこれから参加するときいた。
いいニュース、だれにとっても・・・。
私ってナガサワ氏とは、アページオブパンクの、解説仲間なんである。

時よ止まれ、おまえは本当に美しい、と言いたいような集まりだと思ったなー、私は。
陽気で、それでいて少しの遠慮があって。ざっくばらんなんだけどセンスがよくて。

・・・もういなくなってしまった人、クミちゃんの思い出のおかげをこうむって。
 

                      (ねじばなはねぢれて咲いて素直なり・・・・青柳志解樹)