2015年8月31日月曜日

国会デモ、怒りと悲しみの日本人


地下鉄・国会議事堂前・4番出口。
外に出たら、なんと30日は車道にまでデモ用通路がひろがっていた!
歩道の真ん中を柵で区切って半分にし、安全のためだとアナウンスしてた警察が、
そんな命令を引っ込めざるを得ない何かが起きたらしい。

新たに車道に設置された柵に寄りかるようにして、
年配の人たちが、辛抱強く傘をさし、シュプレヒコールを繰り返している。
小雨に濡れるのもかまわず、生垣や道路の縁石に腰かけてあるいは立って。
そんな年寄りは多い。おだやかで悲しそうで、悩んだ笑顔の。

たぶんシールズが代表する若い人たちの怒りのデモは、国会議事堂の正面につめかけ、
そこまで行けない人間が大勢立ち尽くす首相官邸側の国会周辺道路・・・。
国会正門へ、抗議集会が行われているところまで、なんとか行きたい。
しかし混雑でどうにもならないし危険だと集会側のヒトも言い、警官も言う。
信号も渡れはするけれど、すぐ歩道を警察が分断閉鎖しているから遠回りの連続。
どうにもならぬ。

メールで尋ねてみると、国会図書館近くにいた友人から、
「酸欠と蒸し暑さと足が痛いのとで、新橋行きのバスにやっと乗って」
と返信があった。彼女は骨髄異形成症候群なのに憲法を守れと抗議に来たのである。
もう一人の友人は永田町の議員会館前の歩道にいると知らせてくれたけれど、
たどり着けそうもないから合流をあきらめる。

創価学会を名乗る人たちが、公明党の戦争協力に抗議している。
怒りもあらわに署名活動をしている。
山口・公明党参議院国会対策委員長を反戦の側に引き寄せましょうと叫んでいる。

坂本龍一さんが群衆に向かって話す。
この人は咽頭ガンのため療養中だから、それはもう有名なことだから、
みんなが、彼はどんな話をするのだろうかと、スピーカーに耳をかたむけるのである。
スピーカーから聞こえる遠い声は枯れて低い。
たぶん、顔色も悪いのだろう。
群衆と病気の音楽家が、このままならぬ人生を、共有している・・・。
政治家とちがい、アーティストの言葉には、彼の人生の真実が見え隠れする。
それが彼らの仕事の根幹なのだから。
老いた私たちの後悔の多いくらしが、坂本さんのイメージに伴走して、
ひととき、人間的ななにか、
ともに苦しんだ思い出のような、それが降る雨にからむのだ。

国会議事堂は国会議事堂だけど、ここは無機質な裏切りでいっぱいの空間だけど。

1960年安保の時代には、こういうことは考えられなかった。
55年前に日本人をつき動かしたものは、真っ直ぐな怒りであった。
戦争が終わって15年。反戦。占領軍への嫌悪。天皇制軍国主義者に対する憎悪。
若い国家だったということもある。
戦争が終わった時、男の平均年齢は23・7歳、女性の平均寿命は34歳だった。

当時、
日本をそんな国にしてしまった後悔は、
死んだ兵士や二度の原爆投下による被爆者たち、国土に加えられた大空襲で死んだ
大勢の弱い者が、引き受けてくれたのだろう。
私など高校2年生。怒っているだけの、見通しも何もないニンゲンだった。

戦後70年の現在。過去の犠牲の上になんとか生きてきたと思いながら、
なぜ自分たちは日本をこんな国にしてしまったのだろう、という個人的な気持ちが、
老いた人々を2015年の石畳に座り込ませている。
動かないぞという気持ちのなんという多さ、悲しさ。
一億総中流なんぞと思わされて。

子ども6人に1人が貧困児童という国。
新学期には子どもの自殺が増えるという残酷な私たちの国家、日本。
三権分立の崩壊、
原発再稼働、独裁、アメリカ追随のあげくの戦争願望国家。

きょうのデモンストレーションに12万人が参加したとアナウンスがあった。
そんな規模なのかどうか、いま立っている場所ではわからない。
本当なんだろうか。しかし、ウソで戦いに勝てると誰が思うだろう?
憲法学者や弁護士や研究者や自由業者、学生と教職員が続々参入しているいま?

考えてみれば、これが今日の
老人たちの怒りと後悔から延々と続いてきたデモの
重要な一面ではないか。
ほそぼそと続けられた金曜日のデモが、3000人に満たないという日もあった。
シールズの登場をどんなに歓迎したか、続く壮年層と若年層の参加にどれほど喜んだか。

70代、80代の人たちはデモの歩道で、
「もう棺桶に片足つっこんでるから」と笑ったりして、
リューマチの、ガンの、手術の、心臓に入れたペースメーカーの話をしている。
枯れ木も山の賑わい、とにかく抗議デモに数としてカウントされたいと言っている。
長い闘いになるのだから、猛暑だから、雨だから、無理はできない、しないと思っている。
やせてもかれても1票の選挙権保持者だという誇りもある。
なんとかして自分の病気をなだめて、また国会議事堂で行われるデモに参加できるよう、
今日をやり過ごすのだ。

また、私はここに来る。
不実な国会に抗議しに、何度でも。
そう思っている。

たぶん今日の抗議参加者は12万人より大勢なのである。
2015年の抗議行動は流動型である。
自由に参加し自由に帰宅。はやく帰る人もいる、遅くやってくる人も多い。
5時を過ぎても国会議事堂前4番出口に、個人参加の人が階段を上って現れる。
あとからあとから。しかも階段はここだけじゃない。階段の数は多い。