2015年9月1日火曜日

こんな日には・鶴三会


曇天。雨。憂鬱。
こんな日には、
夏のフィナーレに続いて行われた
鶴三会の暑気払いを思い出すと気が晴れるのかもしれない。
わが団地の老人会の小さな集まりである。

句会は三國さんあってのという気がしているけれど、
節目に行われる会ならばそれは平野さんの「おとこ料理力」。
平野さんのメニュー、食材選びの寛容さ、クッキングレシピは、
調理を嫌わない殿方ならこそのもの、
味覚における酒飲みのこだわりを、すんなり、ばらばらに溶解させるのである。
手の込んだ肝心の料理だが、なんと平野コックがぜんぶやって下さるから、
ほかの者は少しのお手伝いさえすめば、あとはゆったり。
考えるとこんな楽しいことってなかなかないわけで。
「ごめんなさい平野さん」
私など村井さんと永瀬さんの真ん中に腰かけ、
テーブルの上の各種アルコールを試しては楽しむばかり。

細田さんの笑い声をきくと安心である。
小林さんが新年からの句集を周到に用意。
なんでこんな手間ヒマのかかることができちゃうんだか。
みんな自分の俳句をさがして見つけると弁解しはじめる。
おかしがって笑いながら、雰囲気というものが楽しくつくられていく。

ゴーヤチャンプルー、麻婆茄子、カブのマヨネーズ山葵(わさび)あえ、
レタスをふた株も使うサラダは出汁で和えてあり、小松菜の御浸しなどは玄人はだし、
どれもこれも食べやすくよいお味である。(もっとあったけれど忘れた)
もちろんこのほかにも、チーズ、生ハム、どこぞの有名蒲鉾、特別な手製梅干し、珈琲、
ヱビスビールにコンクール一等の日本酒、バーボンウイスキー、
ハンガリーの洒落たワインは程よく甘いし・・・・、
御持たせの品々の上等ぶりも、なにやら毎回すばらしい。

会は定刻に始まり、乾杯をすませるや、平野コックがふたたび管理組合の台所へ。
料理は出来立てをだすのがいいんだよという有難いお言葉。
「俺は料理が嫌いじゃないから」
こういう人が晩年の集まりにいるって、なにかこう、人生ってうまくできてる。
見まわすと、どの人もそれぞれ思うがまま。
身を入れて話をしている。なんの衒いもなくのびのび。男の人女の人がまぜこぜ。
一家言とはその人独特の意見をもつこと、ときくが、
その一家言にそれぞれの陰影がみえるところが好きである。 


こういう日もあることが、老年の苦労や心の痛みを耐えやすくしてくれて、
なんとか私もここでやっているのだ、という気がした。
これからも、誰も欠けることなく、と細田さんが挨拶をされたが、
誰かがここから消えてしまったらどんなに寂しいことだろう。

・・・寂しいにちがいないと思えることは幸福だ。
団地の敷地のなかでこんなふうに思う、それは幸運な話である。