2015年9月9日水曜日

ルノアール監督の「ピクニック」


映画が始まると、まず川の流れ、である。
おだやかな陽光輝く春の日に、川が膨らみながら、微笑み乍ら、滔々と流れて、
と漢字をつかって描写したいスクリーンはモノクローム(白黒)で、
しかしながら、並外れてゆたかな量感が感動的である。
家族だったからこそのルノアール調。
水の様相が、人間の運命を暗示しているのだとそろそろ観客が思うころ、
借り物の馬車に乗って、商人の一家と従兄弟?が、この川辺の自然の中に入ってくる。

印象派の巨匠ルノアールの絵にある、実り豊かなフランスが、
息子によって、同じフレームをモノクロームで再現しながら、幻想を剝ぎとられ、
芳醇で美しい光景や女たちに与えられた色や光の洪水が、
実はこういう世界を内包していたのかと思わせられる。
パリ郊外の自然と、その時代を生きる人間のさびしくも愚かな交差。
・・・40分ほどの掌編であった。

ジャン・ルノアールはヌーヴェルバーグの父と言われる大監督なのだそう。
オーギュスト・ルノアールの次男だったから、監督の家に行くと、絵のない額が
ところどころの壁に掛けてあったという。
映画の資金繰りに絵を売ったのだろうと、なにかで読んだけれど
才能がすばらしくあって、売る絵もあってとは、ホッとするいい話である。

「ピクニック」は、父と息子の仕事を、映画で融合させようという試み。
しかし完成の直前世界大戦が勃発、ナチスによってフィルムが破棄されてしまう。
(ジャン・ルノアールは、外国へ逃れ、異国を転々としながら映画を創り続ける)
ナチスの占領下、
「ピクニック」のオリジナル・ネガは映画人の手で隠され保管された。
1946年には、若干の編集を加えて(その編集のなんとセンスのよい)、
未完のままではあるが、晴れてパリで公開の運びとなったというからスゴイ。


負けっぷりというものがある、という教えを思い出した。