2015年9月19日土曜日

9/18、国会デモ


こんな時、国会周辺はどんな様子か。
日本の歴史のそら恐ろしい転換点。清濁併せ呑んでいま騒然たる場所。
雨が小降りになってよかったと思いながら、国会議事堂前で地下鉄を降りる。 
早く着いたせいで、議事堂正門まで、ラクラク歩いていけた。
正門前は抗議の人でいっぱい。夜になれば前後左右に動けなくなるのだろうか。
私は議事堂から少し遠い石垣に腰かける。人々の隙間に入れてもらったのである。

あとからあとから集まってくる人を眺める。
今夜は徹夜だと覚悟した人は正門の方に行くのかしら。
私の両脇は、左が静岡から来ましたという奥さんで、右側は温厚そうな老紳士である。
4時半ごろ空が暗くなりはじめ、参加者が4万人を超えたと発表があったが、
それからも強行採決をさせまいと駆けつけてくる人は増える一方である。
ぞろぞろ、ぞろぞろ、歩いては止まり止まっては歩き、ゆっくり国会正門へ移動していく。
集会の主催は「戦争させない・9条壊すな‼ 総がかり行動実行委員会」
    「SEALDs」、「ママの会」、「学者の会」など多数の市民グループが協力。

けっこう長い時間、スピーカーから聞こえてくる声をききながら、
ここに結集したどんな人もビートルズを知っているわけかと、ふと考えたりした。
流行にうとい私がそんなことを思いつくなんて、われながらめずらしい。
それは、ここにいる老人たちが見かけより若い心の持ち主だという発見でもあった。
鏡が目の前になければ、私は私であるだけで、自分のトシのことなど考えない。
本当はひとりひとりみんながそうなのかもしれないね。

集会の司会とコールが市民団体から学生の団体「SEALDs」に代わると、
歩く人も私の周囲の人々も、中高年の誰かれがみんな、少しばかりおかしそうな顔をする。
若い子のコールは若々しく、馴染みのない発音をまぜたりの遊び心が見えるから。
ガイジンふうに 「アーベーゥワァ、ィヤメーㇽロォー」とか。
歩く人も座り込んでいる人も、なんともいえない顔になりちょっとニヤリとする。
自分としては抵抗があるけど、ま、いいよ、というほどの心の動き。
学生たちの参加をみんなが待って待って、そしてうれしがっているのだとつくづく思う。
まあいいか、なんて思う受け止め方は、1960年安保時代の大人にはなかった。
私は高校2年生だったけど、作法は上から降ってきた。

ビートルズのイギリスにおける本格的デビューは1962年ごろ。
ジョン・レノンとオノ・ヨウコの平和運動としてのベッドイン(1969年)に
その時は共感できなかったとしても、のちにジョン・レノンが殺され、
ポール・マッカートニーやボブ・デュランを後楽園ホールで見たり聴いたりし、
大ヒット曲「イマジン」が国民歌謡なみに紅白歌合戦で歌われ・・・、

あの頃学生だった抗議デモ参加者、つまり私たちは、この50年間、
かつての先輩たちとは異なる、国籍不明のユーモアを解する日本人たらんとして、
生きもし、失敗もし、その結果、少しは若者に学ぶ人間になった、ということか。
ろくでもない、金まみれのとは言っても、
私たち70代、80代の日本人は、抗議デモで見るかぎり、
断定よりは理解を尊び、若者をつぶしてなんになるという判断を身に着け 、
ふたたび戦争をする国に日本をするまいと、またここに戻ってきたのである。

歴史はなるほど、必ず前よりは進歩する。そう理解することは、すがすがしい。
すがすがしい、道理にかなった、身の丈ほどの考えを懸命に述べる人々を見れば、
元気も勇気もでるというものだ。
ぜひともデモに参加するべきだと私は思う。