2015年8月23日日曜日

夏のフィナーレ、走り書き


土曜日は団地の夏まつり。
暑いのに都合により11時開始の4時終了。
朝もはよから準備して。

でも楽しくてとてもいい日だった。
ふつうの日には、通りがかりにどなたかと親しく話すってなかなかできないものだ。
でも自主管理組合主催のお祭りならば、
何人かの方と、別にたいした話というわけでもないけどお話ができる。
それはとても楽しい。
食べるモノは豊富にある、飲み物にも不自由しない。
いまさらながら、ありがたいことである。
そう、食料が豊富にあるということ。楽しみながら自由に自分で食べている現在。
お祭りにサンダルを履いて歩いてきて、少しは手伝いもでき、からくも健康!
お酒を飲みながらかき氷、鉄板の上で焼いたイロイロをとっかえひっかえ食べる。
キャベツ、茄子、椎茸、イカ、鶏肉、豚肉、焼きそば、その他その他、である。

まー暑いのにだんだん人がふえてくる。成人して独立し結婚し子どもがうまれ。
娘や息子の家族がこんな暑い日なのに実家のお祭りに参加してくれて。

私がてんこ盛りになった自分のお皿とビールのコップをそこらの台の上にドンと置いたら、
「いやあ、あなたは100才まで生きますよ」
食べ方を見ればわかる、と言われてしまった。いやになっちゃったなー、もう。
そんなに食べられませんと言ったのに、山ほどお皿にのっけられた野菜と焼き肉なのよ。
老紳士たちが生ビールをじゃんじゃん、もう何杯もお代わりしている。
あの人も、あの人も100才まで生きる人だ、女性は長生きするんだからと言っている。
めでたいことです、とか言いながら笑っては飲み、笑っては飲んでいる、開放的である。
30年も続いた「夏のフィナーレ」、
このお祭りを子どもたちのために考えた初代住人たちは、
壮年をすぎ、退職という節目を各人が迎え、老年に至り、いま日常を作り直している。
亡き花松さんが「夏のフィナーレ」というモダンな名まえを自慢してたなあと不意に思う。
ここに引っ越してきて当番理事になったとき、とてもお世話になった方だった。

壮年期働き盛りのパパたちが、鉄板の前でがんばって働いてくれている。
寡黙で、親切で、ものやさしい、かしこそうな人たち。

今年、焼きそばの係りを私は引き受けたんだけど、猛暑に勝てず、
とうとう息子に手伝いを頼んだ。そうしたらタケシがОJくんにも頼んでくれた。
ふたりは10時半からやってきて、団地の焼きそばの「大師匠」にコーチされ、
焼きそば、焼きそば、焼きそば、焼きそば、を作るという一日。
私たちの管理組合はもともと男性主導のめずらしいような集まりで、
参加者も全体としたら男性が多いのではないか。
仕事以外のノンキな集まりで、年配の男の人たちの中に入る一日って、
若者ふたりにとっては、けっこうめずらしい体験だったのではないか。

あーあ、お天気がものすごい。
テントの中とはいえ、鉄板の前に腰かけて、もう半日もたったかと思う。
いま何時ですかときいたらなんとまだ午前中、11時55分でしかなかった。
うわー、これで4時までどうやって頑張るんだろうか、とびっくりした。
鶴三句会の俳句の先生、三國さんが終始、生ビールの係りをされた。ずーっとである。
明日になったらノビてしまうのでは。供給する人と供給される人の両方が心配。
でもまっ、いいか。70、80ともなれば。楽しき自己責任、みんなも私だって。
運営責任をになった理事の方々、本当にお疲れさまでした。
ありがとうございました。



帰宅してから夕刊を見たら、
「世界の平均気温最高」の見出し。
アメリカ海洋大気局の、1~7月までの、分析結果である。
インドやパキスタンではこの夏、熱波による死者が計3千人を超え、エジプトでは今月、
百人以上が熱中症などで死亡したという記事。