2015年8月15日土曜日

金曜日のデモ


私はいつも思っていた。
どうしてこうも知り合いにばったり会う、ということがないのだろう?

ところが昨夜はエリちゃんに会った。
娘の学校友達が、一家総出でデモに参加したのだ。
別々の働き場所から、今日は金曜日だから国会議事堂前で待ち合わせしよう、と。
T家の父親の掲げ続けた論理の旗のもとに、である。
娘の中学時代からの、親同士の交際なので、
奥さんも参加、3人の青年になった子ども達も家族としてそこにいるということが、
私には本当にたいした、たいしたことに思われた。

家族でここに居るなんて。
そんなことは、今の日本人には不可能にちかいのではないか。

家族。
言葉というものは約束と私は思ってきたけど、ここに、
国会議事堂の「総理官邸前」という信号の下に、生きる約束がいま存在している。
これはもう、本当にたいしたことだと思わずにはいられない。
私は奥さんのガンコなセツコさんがむかしから好きだけど、ついつい叫んでしまう。
「いやあ、なに、あなたまでいるの!?」
 彼女は今夜がデモ初参加だそう。地味で静かな参加者だけど、一家総出の迫力って
すごいものだと思う。生活の歴史が確実に見えるたいへんな行為の連なり・・・。
だっていがみあわない家族なんてないでしょ。民主主義なんだから。


比べて安倍首相の「反省・おわび」の70年談話をいったい誰が信じられよう?
反省もお詫びもその場逃れの、嘘方便。
安倍の言葉と行為のうらはら無反省ここに極まれり。
ペラペラ、ぺらぺらともう。