2015年8月20日木曜日

殺人


テレビを見ないので、私はいわゆるニュースに弱い。
今朝は女の人が男性を蹴り殺した、という話をきいた。
「女の人が?!」

女の子の死体が見つかって、一緒にいた男の子は一週間たっても行方不明。
大阪。中一。朝刊の記事を読んでいて、その話の続きだった。

「蹴り殺した女の人って若いの?」
ところが40代の、会社の女社長であるという。
・・・クルマの中で男性を蹴り続けているうちに、相手が心臓の発作を起こして死亡。

「女社長が蹴り殺すの? 殺されたのは若い男? 社員なんだろうね、きっと?」

なんて凄惨きわまりない話だろう。
会社という仕組みのなんという恐ろしさ。
調べてみたら、女社長は47才。死んだのはアルバイト社員で23才。

この話のオゾマシイところは、
23才が、社長に、生殺与奪の権利を、何から何まで握られていることだ。
自公民政権であれ、民主党政権であれ、今日の社会では、
運よく会社に雇われたら最後、ほとんどの人間が失業を恐れ、男であれ女であれ
精神と肉体に加えられる暴力に、抗議もできない、反抗もできない。

47才の女社長が若い男を死ぬまで蹴り続けることができたのは、
会社の経営者や上司の横暴を、断固として許さない社会的装置が基本ゼロだからだ。
文科省の施行する人権教育が根っから劣悪だからだ。
日本が、労働基準法なんかクスリにもしたくない、経営者優先の社会だからだ。
労働組合は、会社が雇った者を蹴り殺す、そんな理不尽を払いのける防波堤である。
でも労働組合なんて、御用組合しか見たこともない人が多いと思う。

あんまりだ。

女社長の人格の欠損というだけの話にしてしまわないでほしい。
鬼畜、というこれから彼女に被せられるであろうベンリな文字が浮かぶ。
死んでしまった23才は、殺されてもしょうがないほど人間存在としては弱かったのだと、
そういう報道をされるのだろうか、それが気持ち悪い。