2020年7月2日木曜日

自己肯定の足あと


自己肯定ということに、私が踏み出したのは離婚の前後だったような。
離婚とは直接関係がないけれど、50代のことだった。
どう考えても、肯定できる自分がみつからない。
子ども達については、こんなもんでいいじゃないの、と思うのに、
自分のことはもうさっぱり。ぐじゃぐじゃして取り柄がないとしか思えない。
ずっとそういう状態が続いて、病的になり、眠ってばかりいるようになり、
歩けなくなり、仕事もないし、自己どん底ノイローゼ状態になった。

たぶん学者だの役者だの先生だの教授だの編集者だのアニメーターだの、
えらい勉強家がまわりにいすぎたせいだろう。
 
ある日、悩むのにもくたびれて、
そんなふうに感じることを自分に禁じた。
みっともない、ぐじゃぐじゃした、半人前の自分、などと、
あんたにそう思う権利はないはずだと、そう思うことに決めたのである。

理由はくだらなくて、
大学に三つも行ったじゃないか、ということだった。
卒業したのは1つだから、まー言うほどのことじゃないけれど、
大学の門を出たり入ったり、サボって悩んだだけだったけれど、
そんな図々しい時間を持てた人なんかめったにいないはずだ、
それなのに、ぜんぶお手上げだなんて。
それならいったい誰に、なにが出来るというのだろう?
あんなにじゃぶじゃぶ教育ばっかり受けたのに? 
私にできないなら、ほかの誰に、あてもない努力ができるだろう?
知ってる人はだれだって、みんな、あんなに苦労している・・・。

いってみれば、50才にもなって、私は1500メートルリレーから降り、
50メートル競争のスタートラインに小さい子と並んだというか。
それならそれで、そういう努力をするぞと、
自分で考えついたことがミソかも。
 
自己肯定ということを考える場合、
日本人はどこどこまでもヒトに決めてもらいたがる。
ヒトの基準がどうなっているかと、そればかりを気にする。
みんながマスクをすれば自分もマスクをして、自分以外のヒトを縛るのだ。
そうやって、精神の荒野をあるがままに肯定しない民族に、
私たちはなってしまったわけである。