2018年9月19日水曜日

海辺で


難しいできごとが、あまりたくさんあるので、
オンボロ自動車で、息子と、城ケ島へ行き、海を見ようとした。
何年ぶりの海辺行きだろうか・・・。
私は、家事と仕事で手いっぱいのとしより。
息子は、若いけれど、日勤、夜勤、バンドの練習と演奏 の繰り返し。
そのくらしの中で、
たぶんだれにも起こるような、平凡で単純な災いが 、
自分たちを襲う。

75才と36才、それなりの二人家族、
原発事故以来、海流は全世界を回るのだろうからと思えば、それもあって、
なかなか、海辺に足がむかなかったけれど。
夜勤あけで、なんにも仕事がないという日が彼にあったので、
私も、なんの用事もない日だったので、
思いつきで遠く、遠く、城ケ島まで行くことにした。
遠くても、高速道路をつかって、
川崎をすぎ、横浜もすぎ、葉山もすぎて。

・・・とうとう城ケ島まで行ってしまった。

何年ぶりだろうか、海浜公園のその先の、巖の連なり、その向こうが海なのだ。
痛んだ気持ちが、海風と湿気と、岩にあたって猛烈に砕ける白波を見るうちに、
・・少しづつ、・・少しづつ、なおる。
でこぼこの、砕けた貝殻 ばかりの浜辺を痛い裸足で踏んで、
やっときれいな海水に脚をひたした。
小さい波が、バシャンバシャン 、・・・大きな波がときどきザブーン。

ひとりで横になって、のんびり貝殻をひろっていたら、
寂しい人がそばにきて、それは、たどたどしい日本語を話す、
長い真っ黒な髪のアジアの女の人だったけれど、
・・・ふたりで話しながら、貝を集めた。

手のひらに、淡いみどり、ピンクや白くて灰色 の貝殻をのせて、
「ほら、この貝殻を見ると、家に帰っても、きっと私はあなたを思い出すわよ、
あなたは こういう人でしょ」
黒い瞳が、ニコニコ、風に吹かれている。
イツモ、ヒトリ、ワタシハ、といった。
別れる時、手のひらいっぱいの、桜色した貝殻をぜんぶ私にくれようとする。
「ナニヲ、ウツシテイマスカ、空デスカ」

歩いてきた息子に彼女が尋ねると、
息子は空気を揺らさないように、用心深く、にこりとし、
「そうです。空を写していました」
といった。
ありがとうと彼女に貝殻のお礼を言って、別れられたのが
幸せだったかな。