2020年2月24日月曜日

古い手帳


むかしの手帳が机の上に放り投げてある。2冊、3冊。
なにかさがして見つからず、片づけるのも残念という過去へのこだわり。
見つけたいのは、その一年間の自分などではまったくなくて、ただ 言葉。

時間の流れに耐えられそうな思考もあれば、忘れまいとした寂しい詩もある。

2018年の手帳には、こんなメモ。
ウィリアム・サローヤン
  物を作るということは
  何かを特に取り出し
  何かを他のものと別にし
  誰でも見たことのあるようなものを
  特に見つめることだ

別の日、エンピツ書きで。
山口誓子          
  海に出て 木枯 帰るところなし

サロ―ヤンのなにを読んだのか、もはやおぼえていない。
でもこの抜き書きを今読めば、みっちゃんの絵の習作における、
彼女のもの優しい画風にぴったりのような。

私は、私として毎日書く自分の文章の出来不出来や、その行方などが、
帰るあてのない、乱暴で無鉄砲な木枯らしのように思われて、
それでかえって落ち着くわけである。