2020年2月13日木曜日

鳥取の思い出2


思いだすと、かならず、その断片がその時そのままに甦って、
もはや白黒映画の一場面のようになっている、無力な悲しみの断片。
なぜそれが自分の記憶に残っているのか、わけがわからない。
木の葉がつくる斜めの影や、つよい陽の光の加減まで覚えているのに。

ドキュメンタリー映画「ヴィヴィアン・マイヤーを探して 」を、
DVDで見ているうちに、答えをみつける。
(7才だった私は今はもう76才だ)

彼女は変人で奇人で、メアリー・ポピンズそっくりの、だから職業も乳母で、
魔法こそ使わないが、そのかわり天才カメラマンだった。
膨大な75万枚にもおよぶ、アンリ・カルティエ・ブレッソンみたいな、
もしかしたら彼を凌駕しているのかもしれない 美しい写真を、
彼女は死後に残した。
あやうく捨てられずにすんだ、凄まじい分量の、古新聞、古着、ゴミと、写真。
謎と、分裂と、奇跡と。

子どもは子どもすぎると、世界がふたつにしか見えないものだ。
もしかしたらヴィヴィアン・マイヤーみたいに。
自分。それと自分以外の世界がぜんぶ。そういうことだ。
主観のかたまり。子どもとはゆがみを内にもつ個体である。

あの時、泣き声をかくして私が考えたことはこうだった。
恵子さんの大人になっている弟から、突然棒で頭を打たれたのは、
どうしても、悪い子がなにか悪いことをしたからなのだ。
それについてはどんな否定も弁解も、許されない。
悪いことはしなかったという立場が、自分はいちども許されたことがない。

そういう、サディストが支配する家庭に育った、いわば不正直な子ども。

世界には、種類のちがう大人も存在するのに、それがわからなくて。
あるいは、一種類の大人しか、7才の世界にはいないので。

やっと5年生になって、3才で別れた実母の家に逃げた時、
「お宅のお手伝いさんから、引き取ったほうがいいと手紙がきたわよ」
と母は言った。しかし、手紙を受け取っても母は知らん顔をした。
貧しかったからか、愛がなかったからか、今でもわからない。

恵子さんは私の家から夜学に通い、のちに保育園の園長さんになった。

私の家では、お手伝いさんが何人も替わり、
その都度、子どものわがままが原因だということになった。
子どもには自分のことがよくわからない。それはちがう、と思えない。
子どもの世界がゆがんでいるわりに、子どもは公平である。
それで、 本当に自分はわがままなのかもしれない、
と思いながら殺されてしまうのだ。

その子の世界に、種類のちがう大人の存在がなければ。