2021年7月8日木曜日

思い出雑感

 1943年神奈川県葉山生まれ。早大文学部教育学専修卒業後、桐朋学園短大演劇専攻科
を経て劇団民藝で7年。退団後3人の子どもの母親になり執筆活動をはじめた。
著書に「7月6日晴れのちけんか」(講談社)「君たちは忘れない」(草土文化社、37年
後映画され「あの日のオルガン」として朝日新聞社から再出版)など。65才で幼稚園の園
長に。以後、朗読の会主宰、図書館の読書会に参加。
ブログも。http//xacykau.blogspot.com/


上記したのは単行本用略歴の下書きで、新しく発行される「小説・となりのトトロ」のた
めの短文ですが、当然この上に、宮崎さんの略歴がどっかーんと表示されていてものすご
い分量。ただもう編集者が略して書いた仕事の分量だというのに。
あのころ私は44才ぐらいだし、宮崎駿さんだって46才? 
「風の谷のナウシカ」がすでにあっちでもこっちでも大評判になっていたから、天才だと思うヒトは多かったはずだけれど、私はそんなこと想像もしなかった。
いきいきしてユーモラスで理解力があって、人間らしい人だったから、たちまち信じて肯定し、そんな人がいたのがうれしくって、あとはもう泣き泣き努力。書けといわれて書けないことが毎日苦しいばっかり、世間知らずだから本当にそれだけしかわからなかった。
ジブリにかよっていっしょに作業した女の子が懐かしい。その人は絵をつくる人で、人物を画面で動かすためにものすごく多量に同じような絵を描くのだった。彼女の絵と、私の字とどっちの数が多いのかなと、暗澹たる私は、毎日、涙をかくして重苦しく考えたものだ。
とにかく描きましょう、とそのか細い少女は牢屋で作業しているみたいな調子で、私をなぐさめるように言ってくれるのだった。
才能がまるで無いのにあてもない旅、というのが正真正銘の私の実感だった。

いまになって見ると宮崎さんって。
こんなにたくさんある大ヒット作品・・・。略歴でもこうだなんて。