2020年8月27日木曜日

仙女洞 2


とにもかくにも、坂をのぼり、
やっと浅井典子先生の事務所に到着。「りんごの木」である。
浅井先生は新生多摩市に移住後、働く親たちの必要からみんなと協力して、
市政を動かした。そうやって数々創立された保育園には、
みんな可愛らしい木の名まえがついているそうで・・・。
それで此処も「りんごの木」なのだろうか。保育園じゃないけれど。 

「リンゴの木」は、やっかいな坂の上にある可愛い事務所である。
世界中に出かけた保母さんたちの古典的なお土産?でいっぱい。
いいな、うらやましいなと、来るたびにそう思う。
かつては、コダーイ芸術研究所関連の保母さんってたくさんいたのだろう、
働いては外国旅行をしたのだろうし。
芸術研究所という名のつく集まりだったから、
歴代の学究肌の保母さん達のおみやげは、文化的、神秘的、民族的。
洒落たテーブルクロスの上に、異国のお人形が棚からあふれて、
その横に、読んで下さいねといわんばかりの小冊子や絵葉書が、拡げてある。

事務所の隣りは「わらべうた」サークルの合唱用のけいこ場。
すぐ右奥は厨房。
いつも、これは保育という職業柄にちがいないと考えてしまうのだが、
お訪ねすると、出される飲み物食べ物のあれこれ、
帰りに持たせて下さる、もう多種類こまごまの沢山のおみやげ、
手作りだし、家庭的だし、便利を考えてあるのが、しみじみ懐かしい。
よく気がつくお母さんの代わり、という「職業特有の能力」が印象的なのである。

今日は、浅井先生といっしょに今井さんにも会える。
今井さんは調布市の人で、私たちは子どもがおなじ第一小学校の同級生だった。
かれこれ40年も前のPTA同士。
まさかあの今井さんの職業が保育士だったなんてビックリだ。
それが70代も後半になって、思いがけなくお付き合い復活。
すぎなの会の「すぎな珍聞」という表紙の、
笑って痒くなりそうな名前の小冊子(!)を送ってもらって読んだけど、
この小柄でまじめで優等保母みたいなタイプの人が 、
現在この会の代表なんである。

「すぎなの会」とは、
コダーイ芸術教育研究所の趣旨に賛同し研究所の発展を支援する退職者の会
なんですって。
この会に招いていただいて、映画「あの日のオルガン」になった私の著書の
登場人物、戦中戦後の保母さんたちについてお話したことがある。
参加者の中には、映画に描かれた保母たちを直接知っているという人もいた 。

数日後、今井さんより電話。
「みんなで、あのあと話し合ったんですけれど・・・」
講演料金についての電話だった。それがちょっと童話みたいな。
思い出すとおかしくて笑っちゃうみたいな。
電話の今井さんは、終始一貫まじめ事務的申し訳なさそうな口調である。
「あの会のあと、あんなお話にあんな講演料はないということになりまして、
ついては貧乏団体で、こういう時には私たちとしては貯金を使うしかなく、
その貯金というのがですね、私どもがかれこれの時余ったお金を入れる壷が、
そういうものがあるんですけど、その壷の中にあって・・・そこからお金を」
はははは。今井さんもおかしくなってきたらしく吹きだしたりして、
「そこからすでにお渡しした講演料に足してという結論になりましてですね」
ついては差額をどこでどうやってお渡ししたらよいでしょうか、だって。

2人のむかし保母さんの、老いてますます磨きのかかった人間ぶりを思うと
この事務所って仙女洞なんだなあと、思ったりして嬉しいことである。