2020年10月31日土曜日

夢なのだ


急にねむりからさめたのは、明けがたの4時で、
想像上の野菜の束がしっかりと頭のどこか、眼のうらにあった。
私はそれを運動会のバトンのように掲げている。
筒状にまとまった小さい野のものたちの生き生きとして鮮やかなあつまり。
この小さな野菜の束にはなぜだか年中じぶんが台所で使うものがあり、
あんまり使うのでなまえがわからないものが最初によく見えて、
しばらく考えると、それは茗荷だった・・・。
茗荷のそばには竹の子の皮がありその中に、
人参や生姜や葱(ねぎ)なんかがきっとあると思ううちに
めがさめてしまった。

真っ暗な夜明け前である。

そういえば茗荷を食べると物忘れがひどくなるからと、
むかしはこわくて買わないようにしていたっけ。

読もうと思っていた本を手にとった。
対訳 「21世紀に生きる君たちへ」
対訳とあるのは、ドナルド・キーン監訳/ロバート・ミンツァー訳だから。
司馬遼太郎さんの文章が英語とセットになっている。
いつ発行された本? 20世紀から「今」という「今」へ?
21世紀というものになって・・・もう20年ということなのかと思う。
ぱらっとひらくと、8ページで。
司馬さんはこう言っている。

    昔も今も、また未来においても変わらないことがある。そこに
   空気と水、それに土などという自然があって、人間や他の動植物 
   さらには微生物にいたるまでが、それに依存しつつ生きていると
   うことである。
    自然こそ不変の価値なのである。なぜならば、人間は空気を吸
   うことなく生きることができないし、水分をとることがなければ、
   かわいて死んでしまう。


あーあ、昨晩むりやり観たアメリカ映画を思い出した。
地球がぶっ壊れたので宇宙開発をするという「インターステラ―」。
なんてひどい超大作だったことか。