2021年6月10日木曜日

その後

 
「風をみる」とタイトルをうったっきり、
いままでなにをしていたろう?
おかしなことに、風を見ていることが、多かった。

時間が行ってしまう、過ぎてしまう
(介護施設の勤務時間の上下にふりまわされて)
明けがたはごはんの支度 洗濯は洗濯機がするけれど、
階段をのぼっておりて、のぼっておりて、
干して、取り込んで、たたんで、しまって、
ときどき、椅子に座って、木々をゆらす風を見るのだ。
もう毎日、毎日、
そんな毎日の腫れ上がったような痛い時間。

そういう日々には、
格子戸の牢屋にかこまれたような、「奇妙な時」が流れる。
樹木の小枝がつくるスキマは、巨人の大目玉のようだ、
あっちの木と、こっちの木に、それからむこうにも、
目玉は二か所か三か所できて、濃緑の葉の隙間から 
空の、蒼い青い冷淡なまなざしの色して、
ただもう狙っている、睨んでいる。
茫然と座っている、おかしな、奇妙な、熱っぽくて、干からびた、
今では家事しかできなくなったヘンてこりんな、私、を。

私は、風が吹くのを見てゐる。

それから立ち上がって、
ばかにしたように、すこし笑う。
そのひとりぼっちで笑う顔がやさしいように、
にがわらいでいいから、どこか優しい気質のものであるようにと
それもやっぱり苦が笑いをしながら考える。
これから掃除、これから買い物、それからごはんの支度、
「家事」かんけいの言葉しか一日の計画の中に入れられないので、
どうしても私は、
なんだか自分が立ち直れない古い丸パンみたいな気になって、
よし、と私をにらむ樹の目玉を置き去りに、
・・・時刻表めがけて突入するばかりなのである。

合言葉?
「みんなそうよね!」っていうんじゃない?