2022年1月24日月曜日

眠る。通信② すると

*2 するとですね。


なんと別の看護士がきてくれて、ぼく、もう一度消灯まえにきて、と言いながら体温と血圧をはかりだしたの。ルーティンワークなのよ。なんだべつの感じがよい看護士だっているわけか。 そうしたらね、 瀕死みたいなむこうのベッドの患者さんが、ろくに返事もしなかったのに、ちょっとイキイキこんどの彼にはこたえている。わたしはその人から共感の合図をうけとったのよね、遠回しだけどたしかな応援を。こんどの看護士は20時半に約束どおりきて、右目の処置をしてくれました。


またもフンガイ通信の写し。上記の短文がそれである。         

病院の現状にくわしいトミちゃんにあてた上記のメールは、いま読むと、ああ、あの時は苦戦したと、すっごく歯がゆい。用事をたのみたくて自力でナースステーションにソロソロ歩いて行くのだが、そこにはなんの表示もなかった。・・・あってもわからなかったんだろうか? そうかもしれない。なにしろ目を手術して入院したばかりだ。夜勤の看護士が何人いて、なんという名まえの人が自分の病室に配置されているのか、「受付」では看護婦だろうと看護士だろうと患者が「自分の用事」でいくと木で鼻をくくったような態度しかしない。私は、看護士に「ぼくですけど」といわれて「看護士はぼくだけです」と言われたと思ったんだけど。エーッ、ほかにも看護士は居たんじゃいたんじゃないの!

あのとき、どうしたっけ? ふたりの重病人にかかりっきりのナースのジャマにならないように自分のことはぜんぶ自分でやろうと私は決心した・・・。            

なぜかというと、この昼と夜の担当看護婦は、眼の手術をした私のいる病室の受け持ちだから、私のことも気にする。私はこの人たちがすごく好きだった。一生懸命だからだ。ヒマな?ときはひまな顔をしてゆっくり、みたいにしてくれる。 でも内臓の手術を待つスゴイ患者さんがふたりも来た私の病室って・・・絶え間なく、夜は夜、昼は昼で15分おきぐらいに、痛い痛い痛い痛いとベルが鳴る。そうすると夜も昼も、確実にふたりのうちのどっちかが即座にフッ飛んでくる。もちろん私だって目がさめるベルが鳴るんだから! さいしょ私はビックリしてあきれちゃったんだけど、どう考えたって、あっちのベッドとこっちのベッドにいる病人ふたりは、もう痛くって痛くってどうしようもないわけでしょ我慢もへったくれもなくね。

きいていると、すっ飛んできた看護婦は、どっちもただ病人ふたりを慰めて手当をしているだけじゃない、断固として病院側の治療方針をはなしてきかせてゆずらないでいるのだ。痛みの先の見通しはこうだときっぱり・・・。 ベテランってどういうエイゴの略なんだろうか。最上の走者かしら。もちろんいたくてたまらないから、病人はなにをいわれても聴く耳なんかもてないだろう、それで何分かたつと、また痛い痛いと痛いと呼び出しのベルがギャンギャン・・・そういう壮絶。

夜と昼の看護婦さんに私は自分の事はぜんぶ自分でやりたいと頼んだ。かまわず吹っ飛んできてちょうだい、もう私におかまいなくということだ。眼科の患者は内科の患者より位がずっとひくいという自己認識・・・痛ッタイ(ん)ダロウナ—と思うっきゃない病室。

でもねー。吹っ飛んでくるのはこの優秀な2人だけで、あとのスタッフは廊下でさりげなく時間稼ぎをしている。もったいぶって話なんかしている。どこでもおんなじ。