2020年1月20日月曜日

村野四郎


村野四郎という詩人を、私が知ったのは、むかし国語の参考書に
彼の詩が一篇、紹介されていたからだった。印象的な詩に惹かれて、
長年捨てられないでいたのに、どうしてかその灰色の本が見つからない。

それは黒い旗が、アナーキストの掲げる黒旗が、虚しく、
はたはた、旗ははたはた、はためくばかりという繰り返しの、
受験用の参考書に掲かげられたのが不思議なような詩であった。

うちの本棚には、読んだことのない古本が、たくさんある。
図書館で借りてきた童話を読みながら、私はその一冊を手にとり、
ぱらぱらと、あてもなく文章をさがす 、・・・あたたかい冬の夜だ。

そこになつかしい詩人の文章が、引用されてあった。
「詩のふるさと」という伊藤信吉(詩人)の書物に、村野四郎がいる。
美しい文章が読みたいような、夜も終わりのことだった。


   私の古い田園は武蔵野のなかにある。白壁は虎杖草と蛇苺とイラクサの中に
   傾いてゐる。そして父と母は山寺の蔓のからんだ樒の樹の下で眠っている。
   夏ごとにこのかなしみは私の心によみがえってくる。
   夏蚕の終わった桑畑が切りはらはれて、その跡に白い空が眉のない顔のやうに 
   味気なく覘く。そして家の周囲の樹々はもはや茂るばかりだ。
       古里は花なき樹々の茂りたる


虎杖草はイタドリ、蛇苺はヘビイチゴ、蔓はツル、樒はシキミ 、夏蚕はナツゴ
この古里は、いま府中市白糸台であるそうな。考えてみれば60年の昔から、
私たちは、ただもう田園を失い続けるばかりだったのである。