2020年1月30日木曜日

わるいけどまた「銀の枝」


私が少年小説「銀の枝」がすきな理由に、翻訳がステキということがある。

ふたりの軍団の若者が皇帝と、毒殺者と4人で扉から中へ歩いていくと、
とっつきの独房から酔っぱらった兵士の歌がきこえる。
この歌がもう何回きいても(?)洒落こけていてうらやましい。

   ああ、なんで軍団なんぞに入ったか
   帝国じゅうをうろつく運命
   ああ、なんでカボチャ畑を後にして
   茶色の雌牛を置いてまで

   この俺だって皇帝に
   きっとなれると、みなはいった
   カボチャ畑をうちすてて
   海を渡っていけばよい

こんなバカな歌を聞き流して、皇帝が主人公たちと独房の奥まで歩いていくのが
また、うらやましい。歌は、ずっとむこうから、まだきこえる。

   だからおいらは入った、軍団に
   ちっちゃな雌牛をおいてまで
   だけど見てくれ、おっかさん
   今のこのおれ、こんなざま!

翻訳がいい! 猪熊葉子さんがすごい。
日本の旧陸軍でこんな歌が、牢屋で歌えるかと、ダメ元でもつい思うし。

この歌は、小説家サトクリフの小説作法のなせるワザかもしれないが、
よく考えればフィクションに決まっているが、それでも、
独房にブチ込まれた酔っぱらいなんかの、下級兵士に名をかりて、
偉大な皇帝の度量というものを、ついでにすいっと読者に説明するなんて。

人生あいわたることは、どんなに愉快で面白いか、
こんなふうに気合で思わせてしまうなんて、ステキである。