2020年1月27日月曜日

桐朋演劇大2期 -2


私は大学を出たあと、桐朋学園短大演劇専攻科に入学した。
60年安保と70年安保のハザマの時代、 創立2年目だから、2期である。
授業料値上げ反対闘争、自主卒業式を経て、早稲田から桐朋学園へ。
俳優座養成所が大学となった次の年・・・、
びっくりすることばかりだった。

今回の船橋市における、まち劇 「光る玉、あったっけど」公演は、
NPO・夢虫と桐朋演劇大学2期の有志の共催で行われた。
あの頃のクラスメイトが6人。みんな私より若い人たちだ。
夢虫と桐朋2期をむすぶ接点はハンダショウコだった。
50年がたった、そして。
この、渾沌とした、ごちゃまぜの舞台、
「市民とプロ、子どもと大人が、昔と今の間を行ったり来たりしながら」
創ったという 、その何かが、いったいなにが
芝居の門外漢となった私を驚かせたのだろう?

思うに、このまち劇 には、
日本初の演劇大学のカリキュラム(教育課程)の、創立者の理想の片鱗が、
「すがたかたち」となって存在したのである。
6人の女優である。

プログラムに、 在学時代から「地味な2期 」として、
「自分をみとめることが少ない時を過ごしたように思います」とあるが、
彼女たちは、
日舞ならではの人間観、狂言ならではの喜劇性、新劇や、商業演劇やテレビで
苦しみながら獲得したのであろう表現を、2時間におよぶ まち劇に、
すがすがしく生かしたと思う。
私は千田是也先生の、戦時下をおもった・・。