2020年1月29日水曜日

ローズマリ・サトクリフの本


「銀の枝」63頁。岩波少年文庫
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 空では灰色と銀色とが追いつ追われつしていた。月は嵐をはらんだ雲のなかから
出たり入ったりしていたから、ある一瞬あっというまに海岸線の全体が銀色の光で
照らしだされたと思うと、次の瞬間にはみぞれの幕で覆われて見えなくなってしま
うのだった。ずっと下の方には、白い波頭がが、何列にもなって岸にむかって押し
寄せていた。まるで荒々しい白い騎兵隊の攻撃というところだった。そしてジャス
ティンが海岸線にそって目を走らせていくと、ずっと遠く東の方向の暗い岬に赤い
花弁のような灯がともっているのが見えた。
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 海とは確かにこういうものだと、一字一字、私が文字を追いかけて、むなさわぎ
 のように波の音を感じ、このとおりだこのとおりだと反応できるのは、
 わが日本列島が島国だから、海に囲まれていたからだろうか。
 そういう幸運のせいだったのかしら。
 
 戦争が終わって、私は3歳の時、疎開先の葉山一色海岸をはなれた。
 
 そのころの海は綱で半分に仕切られ、御用邸のあるあっちとこっち側の境目に、
 銃を持ったアメリカ兵が一人立っていた。
 占領なんて初めてだから、めずらしくてぞろぞろと見物に行く。
 「アメリカさん」はずっと黙っているし、砂浜で立って見てるのに飽きちゃって、
 農家のいたずら小僧が笑顔になって、すばしっこく海から綱をくぐった。
 とたんに、ピッピ、ピィイイイーッ! 学校の運動会のと同じ笛でアメリカが警告。
 兵隊が仕方なさそうに銃身を子ども突きつけ、鋭くなんとかかんとか。
 入っちゃいけないとか。すぐ出ろとか命令した、エイゴで。
 そういってるんですよ。誰かがみんなに教えた。
 知らないけどエイゴができる人がいたのである。
 
 やっちゃいけないことをしたんだと、やっとわかって原住民はみんなビックリ、
 私は祖母にだっこされて 、うしろだからよく見えないとぷんぷん怒っていた。
 
 ・・・しばらくのあいだ、それでも海は、子どもにとっては海岸というだけの
 大空の下でただ遊んだり泳いだりする普通の古里でしかなかった。

 ガチガチのテトラポットやコンクリートの堤防、そして醜い石の橋。
 しまいに、原子炉が爆発して垂れ流す放射能のゴミ。
 
 そうしてみると、
 海という世界を、・・・いまや児童文学は失ってしまったのだろうか。