2021年2月23日火曜日

サッカーなんかやっちゃった


大決心と言うわけでもないけれど、古いサッカーボールをもって、
とてもきれいな夕方、公園の池のかたわらで蹴る練習をした。
ボールけりだ。

私の叔父さんはヒットラーが生きていた時代のベルリン・オリンピックにおける
サッカーの日本代表、戦後、早稲田のサッカー部でながく監督をつとめた人だ。
けっこう有名、文武両道、経済学の教授だったし。
だからかどうか、古い話だけれど、家では小さい子どものころはよく、
蹴球(しゅうきゅう)という言葉を耳にしたものだ、サッカーのことだ。
なにしろ私の親たちは明治・大正の人達・・・。

今日、公園の池のほとりで、息子に配球してもらってやったのがそれで、
ボールを蹴るのよね。うまいね、とかテキトーに言ってもらって、
ちょっと血が身体中をまわりはじめ、気持ちも晴れた。
なんのことか、べつに無事にくらして、昨日はすごく楽しい一日だったのに、
今日は老人性鬱状態、むくんだようになって横になると眠くてたまらない。
のんびり休むのがかえって悪い、そうである。

20年以上も前のことだけれど、多摩川の広い河川敷で、
私ときたら、その時も今のように、引っ越しのあれこれでノイローゼみたい、
心配した息子が、むりやり私をつれだして、ボールけり(蹴球)の初歩を教えた。
高校生の子に「母さんサッカーをやるといいよ」と急にいわれて、
ヘンなこと言わないでよともうがっくり、てんで気がのらなかった。
・・・けっきょく、せっかく言ってくれてるのにと断れなくて、
河川敷の草ッ原で今日みたいにサッカー?を、やったのだ。
今より苦しくて大変だった。
その時だってもう、50代の半ばだった。

今日は30分ぐらい、ポカーン、ポカーンとボールを蹴って、
もうやめたほうがいいかも、となり、面白かったんだけれどやめた。
梅が満開、白い花と桃色の花と。
池には非友好的な蛙が一匹。

おばあさん(わたし)は、足が引っかかって転ぶととんでもないからね、と言われ
前のめりにボールを蹴れ、と指示されてそうしたのでありました。