2018年1月6日土曜日

新年五日目


午前中、電話があり、李 鳳宇さんからだった。

最近、思いがけなくご縁を得た映画のプロデューサー である。
去年は天地が割けて、そこから新しい運命がはじまったような年だった。
東北シネマ新社の鳥居明夫氏から連絡があり、
むかし私が書いたルポルタージュを読んだ李さんが、映画化を引き受けたとか。
ふたりプロデューサー で35年も前に書いた本が映画になる。
ビックリだ。

映画関係の本には、案外、李 鳳宇という人の名が登場する。
大物とか有名人とか、李さんはそういう人なのかもしれない。
私はこの人に時々会うようになった。・・・映画の原作者なので。
李さんは初めて会った時、私をみると自分の母親を思い出すと言った。

鳥居さんとか李さんは多忙のあまりに、
原作者なんてものは相談の圏外に奉って無視して、という映画人だと思うが、
それでも二人は、映画の進行状況を時々、私に会っては説明してくれた。
そういう関係が成立するにはもちろんある種の経緯があるが、
一年が終わったころ、私に感銘を与えたのは、李さんの場合だと
長幼の序ということだった。

李さんは映画の人だから、最初から イメージがあって、
原作は原作、映画は映画という、キッパリとした区分をもち、
確固たる見通しのもとに、膨大な仕事をこなしていたにちがいない。
ものすごい経歴は一筋縄ではいかぬ仕事内容をつくる・・・。

しかし、李さんは多忙にもかかわらず頼めば会ってくれ、
私の意見をきいてくれ、時間を惜しまず疑問に答えてくれた。
どういうわけか、李さんは、いつもウソがなく自然で好意的なのであった。

なぜかというと、
それは彼のお母さんを私が思い出させるからという、
最初からの印象に、李 鳳宇さんが忠実だったからではないか。
どことなく素朴な優しさが彼から私のほうに伝わってくる。
韓国人のお正月というと、親族集合が絶対的なものとして大変だときくが、
そういう縛りというか、韓国人の精神風土が、
李さんの私への親切になっているのかもしれない。

子どもの私が、父や母の向こうにみた日本人の心がまえというか心情が、
おかげさまで懐かしく思い出される一年だったと思う。