2018年1月25日木曜日

重たい日


失礼のお詫びに行く。
プロデューサーは映画製作の立場から。
私は著作復刻版を別会社から出版すると決めたので。

こういうことがあると、過去を振り返る。
自分を人格的に優れた者だとはまるで思えないできたが、
それでも相手の方が怒ると、
ぐちゃぐちゃな人生にふわりと網がかかるというか。
74年の月日が幾何学模様になって整理がつくから不思議だ。
たぶん、怒る側に理があって、
私がその人に共感するからだろう。

資本主義に負けたのかと彼はいう。
何日も前、自分でも悩んだことだ。
小さい出版社から大会社に鞍替えして。
人の一生は簡単で、決断の数も私などはふつうよりか少ない。
けっこう単純ビンボーに生きてきた。
裏切ることも裏切られることも少なくてすんだわけかと、
出版社の長椅子に腰かけていて急に考える。

私の人生は有り難い人生だったのだ。

帰りぎわにやっと、虎屋の羊羹。
いかにも私という個人の「卑怯」のお詫びという感じ。
重たくて。ずっしり。その存在感に頼る皮肉。
私は滑稽な気がして自分でも少し笑っちゃって。
「すみません、虎屋の羊羹なんて。お詫びの場合ってこれかなあと。」