2015年3月7日土曜日

春・ヒヤシンス


私はヒヤシンスの香りが好きで。
毎年、お花屋さんの前に長いあいだ立ち止まって、やっと花の色を選ぶけど、
白いヒヤシンスだけひと鉢買いたいとか、高価なものだなあとか。
どの花が健康そうかしらとか、一番いいのはこの鉢かなとか、ぽかーんと考えて、
そうしているうちに、駅の構内の雑踏になんとなく気を惹かれ、
あの人は幸せだと思うとか、ああなんてつらそうな若い人なのかしらとか。

今年は二階の父の遺品の大テーブルの上に
(私はそれを白くペンキで塗っちゃったんだけど)
その上に白ばかりのヒヤシンスを鉢ごと三つ、四つならべた。
テーブルは父に言われて大工さんがつくったもので、上等なところはなんにもない。
今ではベニヤ板を張り付けた角がほんの少し壊れかけている。
父が経済学の「寺子屋」をひらき、いろいろな人たちがそこで勉強したのを思い出す。
勉強嫌いの自分、それから懐かしい父の質素だった望み、理想主義、
私は後悔してもムダな思い出と向き合って、アイロンをかけたり、なにかを書いたり。

今年の冬はヒヤシンスのおかげで二階の部屋のドアをあける時、うれしかった。

花の香りだ。
つかのまのなんとも言えない嬉しさ。
そんなことをしたのは、淑人さんとみっちゃんにコストコに連れていってもらったからで、
ふつうの花屋さんより値段がすごく安いとビックリして、思わずつられて。
一鉢買うのがせいいっぱいだったのに、三鉢、つぎに行った時また一鉢。
ははは、とんでもないことだった。

でもなんで温室ではヒヤシンスをあんな花房の大きいものにするのかしら。
その方がきれいだから? 茎と葉がいまにも花の重みで折れそうだ・・・。
花が終わると、3月ごろ庭のどこかに苦労して、球根を植える。
庭がハンカチみたいに小さいので、うっかりすると他の球根をひっかいてしまうのである。

忘れたころに、忘れた場所に、小さなヒヤシンスが7分の1ぐらいの花を咲かせる。
去年やおととしの、ピンクや紫、それからもちろん白い花。

小さな香りがやっぱりして、そうやって咲いてくれる花は可愛らしく、素朴でまたいいのである。