2015年3月1日日曜日

野田さんのお引越し


野田さんはいつごろ私の家に来て何年いたのかしら。
三年ぐらいだ。あの日に来て、この日に来て。
そのうち引っ越してきた。荷物がどうやって運び込まれたのか、思い出せない。
たぶん冬で、私がオランダに行ってた時なのかもしれない。

私の家はウナギの寝床みたいな三階建てのテラスハウスなので、
(つまり、間口がせまい)
私が一階、息子が二階、野田さんが三階で暮らした。

朗読の日にはなが年の友達が来るから、楽しかっただろうし、
健のライブの日には健の友達にまざって、話をしたし、手伝ったりもしてくれて。
ヒトの家でくらすわけだから大変だったろうけれど。

彼女がいなくなればさびしい。
そういう暮らし方を、私の家でした人だ。
いつも親切で、しんぼう強くて、感じがよかった。

野田さんは三年のあいだに、働き口を得て、そこでも頼りにされ、
ライフワークも見つけたし、遠くの国へ旅行もした。
それぞれに自立した三人の子どものサポートもした。

引越しの日、萱野さんと横山さんと久保田さんと大原さんがきてくれた。
お昼ご飯とお茶会の大荷物といっしょに。
ところでトラックが来て出発しても、本人は一緒に行かなくてもいいんだとか。

ふだん通りの四方山話をみんなでして、話はつきず、しまいには立ち話、
またくるからと野田さん、なんだまた会えるのよね、とみんなが笑った。
荷物がすぐ送り先につかないシステムだから、お別れものんびりだ。

みんな五時ごろまでいてくれて、帰って行った。
健が帰るまで、三階の掃除をしたり、ゴミをゴミの日に合わせてまとめたり。
野田さんが待っててくれると知らせたので、健も急いで帰ってくる。

風のように来て、風のように、スーッといなくなるんだね。
三年は長いのに、あっという間だったなあ。
十時ごろ野田さんがいなくなると、健がそう言った。

ねえ、母さん、よかったね、こんなふうに三年が過ぎて。
たいした人だったよね。
僕たちも楽しかったしね。

・・・そうだ、本当によかったのよね。
それになんだかホッとしたわよねー。
人と別れるって、なんであれ、すごくむずかしいことだもの。