2013年3月4日月曜日

思い出の詩


期待はいつも裏切られる
ここは現実の地点、おれの椅子
ぎらりとだんびらの痛みを引き抜いて

これを書いた詩人はどこにいるのだろう?
高校生のころ夏をすごした信濃追分で、
秋の別れの前に、幾人かがもらった
彼のなんの飾りもない白地の詩集にあった言葉だ。
不思議にもこの詩句をくりかえして、
くりかえして、いつのまにか、今という時がきた。
有名な詩人になったのだろうか?
うっかりした人で、京都大学の、文学部ではない理科系の人で、
追分の村道を何人かで歩いていると溝におっこちたりする。
なにか子どもなんかにはわからないことを考えているのだろう、という感じ、
いかにも詩人だなあと思ったものである。

きみは見ていた 一群の雲が
孤児なる舟をみちづれに 未来の熱にむかって降りてゆくのを

これはアポリネール。
英語塾にかよっていた時だから、高校一年生だったろうか。
学校が青山にあったので、新宿や渋谷をブラブラしはじめたころだ。
「アポリネール全集・第一巻」を買って渡してくれた人がいた。
英語の先生の家の下宿人で、まもなく結婚するという佐伯さんである。
労働者だというあのころの説明がなつかしい。
学者じゃなくて、サラリーマンじゃなくて、と思ったものだ。
佐伯さんはどこに行ったのだろう? 下宿を出て? 結婚して?
それは平野家で、いかにもロフトの平野 悠が誕生しそうな場所だった。
1950年代が終わるころのこと、レッド・パージされた人なんかが隠れていた家。
しかし、思い出せばそういうことだったわけで、
そのころはただ「英語きらい、できない」と思っていただけだった。
「アポリネール全集・第一巻」は千部限定、背表紙が皮でいかにも高価であり、
両手でかかえて、それが自分のものになったなんてとても信じられなかった。
ああ私なんか、ただの馬鹿だったんだけど、
この重たい詩の本をどこでくらす時も持っていったのだから、
一財産のたましいをもらったようなものだったのだ。

翻訳がいかにも、いかにも美しい。
新宿の紀ノ国屋書店でこの重たい本をみつけて、でも高価なので買えなくて、
あの本、あの詩の本と、私は平野さんの英語塾でなんどか悲しんだにちがいない。
詩は一生いつも私にくっついてきたが、こういう気質を守ったり育てたりしてくれた人が、
見知らぬ人にちかく、二度とあうこともない人だったというのが不思議である。

あのころの日本人はゆたかではなかったけれど、再生の夢をもってくらし、
自分の夢でもって人を育てようともしてくれていたのだろうと思う。