2013年3月9日土曜日

多摩市民塾 3/8  朗読発表会


六ヶ月にわたる朗読講座の終わりの日。
それでこの日は発表のみとした。
教室に椅子席をつくってそこが客席。
朗読者はひとりテーブルの向こう側に立ち、課題の詩を朗読するのである。
朗読にあたっては自分なりの前置きをつけてみる。
どんな練習をしたか、どんなことに気をつけたか、どんなことを考えたか。
なんでもよい、それが自分の話しならば。
今回の市民塾での私の講座のテーマは「今を生きる」だった。

まど・みちお「人生処方詩集」に収められた詩をわけて朗読する。
あらかじめの稽古は前回もう終わっているのである


私の感想。
「クロとぼく」
クロにむかいあうかわいらしい「ぼく」の気持ちを追う、朗読者の気持ちが、
今でもパーッと浮かぶ。何日もたったのに。真剣に立ち向かうって鮮やかで感動的だ。
「むかしむかし」
いつもみんなの世話を献身的にしてくださった人で、朗読はまったく門外漢だそう。
「?」という気持ちから脱出していくさまが実に爽やかでいい。素敵な練習ぶりだ。
「生まれて来た時」
今を生きているように、母の産道をひたむきに前向きににこにこして走って、そして
彼は生まれたのか。私たちはみんなこんなふうにして生まれるのかと思った。いい朗読!!
「とおい ところ」
この詩に空気をかよわせ、星空を見せ、その空間に存在するよみ手の感情を
きくものにわからせた。みずみずしい朗読でおどろいてしまった。
「ぼくが ここに」
まどさんの有名な詩。哲学的教訓的に読むまいと思うと難しい。そこをあぶなくも
くぐりぬけて、とても謙遜な朗読になった。できないことをやりとげたのである。
「あしよ リズムで」
とてもよかった。足のまわりに小さな風が柔らかくまとわりついているのが見えるようだった。
ステップを踏みながらの朗読。自由が自己表現になってイキイキ元気、いいと思う!
「とおいけしき」
前置きのおはなしが、このひらがなとカタカナばかりのちいさな詩に、巨大な重みを
もたせた。朗読にあたっての発想が彼女の感性の豊かさを私たちに伝える結果になった。
「おばけなら いうだろ」
いつもおもしろい朗読をする人だけどこの日は前回欠席のため初見。それがザンネン。
でもですよ。自分で悩みながら練習した人よりよかったら私も困っちゃうもんね。
「ガーゼ」
へんな詩?でこんなのが当たると・・・と困惑しきり。そういう風情が私は好きだ。
いかにもの深みを創りだしている。客観、批判の在りようが朗読の個性になっているのだ。
「アリ」
この朗読もそう。こういう一見朗読しようもないような手におえない詩を、よみ手の個性が
ブッタギルというか。観客が詩よりもよみ手を愛する瞬間である。
「ボール」
朗読しにくい詩であってどんなふうに朗読したのか、ただそれがいかにも彼女らしく、
みんながよく知ることとなった彼女のしなやかな強靭さが跳ねたことは確かである。
「するめ」「ワニ」「ケムシ」「ノミ」そして「ひぐれ」
ははは。詠んだ人にぴったり。苦味ばしった朗読で、どこか突き放したようなメロディが
じつにおかしくって面白い。新聞のちいさな記事を読むみたい。
「春がすみ」
だれの朗読をきいても自分にはとても真似ができないと思うけれど、これもそう。
いまでもちょっと少年のような声が聴こえる。詩のなかで息づいているようなね。
「ねむり」
ていねいにていねいに、まどさんのひらがなをたどりながら、練習したのだろう。
詩人の感受性とよみ手の感受性の出会いを見る思い。すごい。


しみじみ思う。
教えることは教わることだと。
これは私のむかしの先生たちがくりかえしおっしゃったことばだけれど、
ほんとうに、参加者の朗読に胸をうたれ、驚いて愉しんだ、ゆたかな二時間。
みなさん、よい時間を本当にありがとう。