2019年4月3日水曜日

「あの日のオルガン」の故郷


蓮田市の「桜祭り」に行く。
蓮田はかつて私が書いたルポルタージュ、「疎開保育園物語」のご当地である。
どこまでも平坦で広々とした、人影のない畑ばかりの土地を、
クルマの窓ごしにずーっと見ていると、
今も、昔も、風景がそんなに変化しない不思議について、考えてしまう。
今度、はじめて高層のビルディングが駅前に建つときいたけれど、
それが、人口の激減をとめる施策にいったいなるのだろうか。
そういうことがこの土地柄になにを招くのだろうか。

私が最近読んだ本によれば、
21世紀の終わり、日本の人口約1億2千7百万人が、5千万に減少する、と。
21世紀って、今が、21世紀なんでしょう?
これから百年間のことなんでしょう?

かつて疎開保育園のために、食料提供を引き受けてくれた土地柄というもの・・・。
戦争の末期だったのに、どこか大らかで、懐(ふところ)が深く、
現実を受け入れて、親切な。「消費班」と悪口も言いはしたが、とにもかくにも、
親から離れて生きる幼児たちを憐れんでくれた、その素直な素性のようなもの。
埼玉の、桶川の、蓮田の、高虫の、ふつうじゃない何か。

蓮田市の桜祭り。
雨模様だし寒くって、ヒトの集まりも普段の半分ぐらいだったというが、
この市の気合いというか、お祭りに賭ける元気が、地元商店街の参加ぶりが、
人々の表情が、私にはうらやましい。
「なんにもないところだから、お祭りとなるとみんな張り切る」
説明してもらうとそういうことなのよね、これが。
自然をぶっ壊して造成しなおし、コンクリートばっかりにし、
水仙だろうが、雪柳だろうが、チューリップだろうが、行列で咲かせる、
その名も多摩ニュータウンの住民の、私などにはわかりっこないなにごとか。

ダックレースとかいうお祭りの恒例目玉のひとつが好ましい。
これはお祭り会場の脇を流れる、悠々たる「もと荒川」に5千羽のダックを放ち、
市民が幾ばくかの賭け?をする、ヘンテコリンな競技。

驚くなかれ、オレンジがかった黄色のビニール製ダック、つまり人工の小アヒルが、
時間がくると5千羽、もと荒川におしあいへしあい、浮かぶ。
しかし、風がない日だと、いくら小さくても集団でもダメ、下流へ流れない行かない。
すなわちレースにならないのだ。
わぁぁぁ・・・とおかしそうに笑う見物人・・。
すると、長靴を履いて板切れのホウキみたいなものを持った男性が2人、
しょうもなさそうに、停滞したダック群を、はたりはたりと追うわけで・・・。

見れば彼らの長靴は、ダック群をどこまで追って川を下ろうと、沈まない。
驚くなかれ、もと荒川とはいうけれど、幅はあっても浅い川なのである、
晴天の春ならば満開の桜が川面を飾って、それは綺麗なんだそう、今日はだめだけど。
説明が、なんだかおかしくて好きだ。悠長がうらやましい。
都会育ちの私なんかには、もう絶対にない品格。

のどかだし、品がよいし、本気にならない冗談って感じがいい。
この、なんともいえない間延びこそ、だいじな気質なのではと思ってしまう。
効率主義ではない人生の、それがやっぱり親切をうむのでしょうね、きっとね。