2019年4月6日土曜日

読書


図書館で、ヘンな本を、というと申し訳ないが、借りてきた。
春風亭柳昇著「与太郎戦記ああ戦友」 ちくま文庫。
読みやすそう、と借りて、読みやすいものだから、一日で読んでしまった。
戦争と貧乏を、落語家が語ると、こんなふうになるのかと、
自分の生まれや視野の狭さが、恥ずかしくて、無念であった。

解説を読むと、本書について、
「戦時中の生活が熱っぽく、最近の出来事のように語られ、落語家生活は遠く静かに語られる。」とある。
解説者は昭和46年生まれなので、40代のひとである。
徴兵制のあった時代の空気を自分は実感できないと、書いている。
彼は短い解説の中で、柳昇について以下のように書く。
「本書に通底しているのは、終戦までーもっと言えば、出征まで、だと思うーの
生活こそが自らの帰属すべき本来の場所であり、多くが喪失された戦後の生活は、
仮の宿に過ぎないという感覚である。柳昇の体内にあった時計は、上海沖の洋上で
アメリカ軍の銃撃を受けたとき、その動きを止めたのだろう。
柳昇は晩年までその若々しさを言われたが、その精神において、彼は幼少期から
二十代半ばまでの記憶とともに、一生を過ごしたと私は推察している。」

「与太郎戦記」「陸軍落語兵」に続く第3作から、私は読み始めたわけである。