2019年3月28日木曜日

じゅんこさんの死


「余命一か月」
お見舞いにいった長男の電話で、
じゅんこさんの入院先と病名と見通しを知らされた。

迷った挙句、一人息子のチアキくんにメールを送ってみる。
ふたりと、お母さんと彼と、話しがしたかった。
チアキはツトムのバンドのリードヴォーカルで、画家で、
彼らのCDの解説を書いてくださいと私に頼んでくれた 人である。
だけどこんな時、お見舞いにうかがいたいなんて、
迷惑かもしれないと思えてならず、追加送信・・・。
そうしたら、少したって、電話がかかった。
お母さんが死んじゃった、という。
じゅんこさんが、彼がそばを離れた短いあいだに、死んでしまったというのだ。
チアキくんが病室に戻ったら、息をしていなかったのだというのだ・・・。

昨日お見舞いにいった長男から、じゅんこさんの冗談ぽい様子をきいたのは、
ほんのさっき、だったのに。

翌朝、やっぱりじゅんこさんにお別れしたくて、下北沢のタウンホール近くへ。
ツトムが小学生の息子とふたり、自転車できて、3人でチアキの下宿へ。
寒い寒い朝だった。
チアキくんは、母親の遺体を、病院から、自分の下宿に運んだのである。

下北沢の再開発を免れたのか、それとも、此処もいずれ消滅するのか、
終戦直後のまんまみたいな建物が、細い路地を入って曲がっていくとある、
こんな所をいったいどうやって、お棺が通れたのか、
入り口の古い戸をチアキ君がガラガラと開けてくれると、
すぐそこに、じゅんこさんの遺体が、部屋いっぱいに安置されていた。
じゅんこさんは美人さんだったから、金襴緞子の、赤と金色の覆いを掛けられた
その様子は、チアキの灰色の部屋の中で、昔の映画の一場面のように静かで美しかった。

むかしはみんなこうだったなぁ、と思った。
終戦直後は、みんなこんなだったと。
チアキは画家なので、この下北沢の「終戦直後」は、
繁栄に取り残されたまま古びて、
遺体を安置するために、あれこれ取り除いたのだろうに、なぜか芸術的だった。

ビンボーはビンボーなまま、変化しないで時代の底にあるものなのだと思う。

折れ曲がって二階にいく階段、すりガラスの向こうの台所。
遺体の脇に、小さな灰色の小机。 
白檀のお線香や、蝋燭や、おりんが、載っていて、ひとりがお線香をあげると、
狭くて、うしろは誰も通れない。
しかたがないから、横から手を出して、けむりが絶えないようにした。
それは安穏で、優しく、いかにも自然な光景だった。

チアキがこんなヒトになるまで、
じゅんこさんはがんばって生きていたのかと私は思った。