2019年3月22日金曜日

平野さんを偲ぶ日


鶴三会は、いざという時の防災を考えて、平野さんがつくった、
なかなか人のふえない、ちいさな老人会である。
人格者細田さんと、事務極端優秀温和な小林さんの努力で、
いろいろな工夫と幸運にめぐまれ、懐かしいような集まりになっていった。

こういう会の辛さというものがあると、今ではみんなが思っているだろう。
老人の会というものは、亡くなる人が、時がたてばたつほど連続するのだから。

はじめは、難病を抱えて、だんだんに病状が深刻になっていった木下さんと
お別れした。なん年かにひとりという感じだった。
それから村井さんが亡くなり、後藤さんの奥様が亡くなられた。
私たちの俳句の先生の三國さんは、傾斜のある団地の歩道のかたわらで、
葬儀の車を見送って、こんな句を詠まれた。

逝く人に送る人にも月昇る

三國先生が住んでいらした私たちの団地は、なんてよい住処だったのだろう。
時節が整ったのか、それとも人はみな年を取るとヒトらしくなるものか、
私は鶴三会に入れてもらって、しあわせだといつしか思うようになった。
でもその三國さんだって、もういない。

三國さんが亡くなって、今年二月が来ると、
暑い夏のあとだから、誰の身にも、お葬式が続くことになった。
私が参列した五度目の葬儀の、逝ってしまった人は平野さんだった。
梅見吟行の日、ひるまは奥様のリハビリがあるから欠席、ときいたその深夜、
付き添いだったはずの平野さんが、病弱な奥様をのこして急逝したのだ・・・。

いつも私は、入り口を背にした平野さんのお隣に腰かけていたので、
時々、ああだとか、こうだとか、自由な会話もしたせいか、
なんともいえない----混乱とでもいうのか、複雑とでもいうのか、
ぼーっと悲しんでいる自分が不思議でならない。
 いつだったか、そう、
むかし三越の食料品売り場で、奥様を守護する衛兵のように、
立ちつくしていた平野さんの、一心な姿が目に浮かぶばかりで。

悲しみは、日暮れて、だんだんやってくる。
私のような者にも。