2019年3月18日月曜日

素敵な場所でランチ


朗読の同人に仲間に入れてもらい、花木のみえるカフェでお昼を食べる。
おどろいた、そこは生活クラブ生協の帰り道、トミちゃんに案内してもらった場所で、
その時はカフェ定休日で、がっかりしたのだ。
花木が売られ、鯉の売り場もひろく、雑貨売り場と、食品、たとえば野菜にパン、
つい手が出そうな調味料とかに加えて、昔なじみの和洋玩具や家具まであって、
青山、六本木、原宿の田舎の遠い親戚というか、多摩ふうである。
雑多、ごたごた、大小中の鯉が水の中で騒然と?泳いでいるから、
水の音もごぼごぼ、びしゃびしゃ、空気が冷たい、はたらく人も作業風の感じが、
ちょうどよい。

順番を待つあいだ、ちょっと歩いてみるんだけど、当然、目が楽しい。
萱野さんが、花粉症だから順番待ちをします、ご遠慮なくという。
もっとも?かなという気もして、ぶらぶらさせてもらって、ついついつい、
野菜など少したくさん買ってしまう。帰宅後ゆでて、なんにも加えずに食べたけど、
やわらかくておいしい葉っぱだった。ほうれん草と菜の花である。

話題は老人介護だった。
その道の超ど級の大家に、ちゃんと義務をはたすつもりの模範的努力家が
そろっているので、なかなか本格的。あなどり難く、興味深い話ばかりである。
ふーん、ふーんすごいな、と聞いていたら、
不意に「久保さんは」と話をふられて、びっくりした。
それで話してみたら、
私には舅と姑と、父と生母と継母と三人目の人と。
自分一人に六人の親だったから、経験としては、けっこうものすごい。
・・・のだけれども、約二〇年前の話なので、
もう、どうでもよくなってしまっていることに、自分でびっくりした。
あんなに小突き回されて怒り心頭、泣いては怒って恨んでいたのに。
たぶん失ったものは「愛」のようなもの、しかしそれだって今は霞の彼方だ。
愛情は苦難の深淵に沈みこみ、自分は情が薄かったとうんざりしながら、
与えられた時代と家と。他と比較すれば「幸運」でもあったわけだ、という感想。

・・・両方の肩に疲労感がのっていて、まあもういいかという感じ。

「へーえ、そんなふうになるもんなんですか」
と火中の栗を拾うしかない、今のみんなが言った。