2019年3月12日火曜日

あめ という詩



あめ あめ あめ あめ
あめ あめ あめ あめ
あめはぼくらを ざんざか たたく
ざんざか ざんざか 
ざんざか ざんざか
あめは ざんざか  ざんざか ざんざか
ほったてごやを ねらって たたく
ぼくらの くらしを びしびし たたく
さびが ざりざり はげてる やねを
やすむ ことなく しきりに たたく
ふる ふる ふる ふる
ふる ふる ふる ふる 
あめは ざんざん ざかざん ざかざん
ざかざん ざかざん 
ざかざん ざかざん
つぎから つぎへと ざかざか ざかざか 
みみにも むねにも しみこむ ほどに
ぼくらの くらしを かこんで たたく

(1947年ごろの山田今次の詩。京浜の労働者の)

今日、私は初めて、生活クラブ生協の八王子多摩境駅近くの総会に出席した。
年次総会はどこも似たり寄ったり、はじめての参加で、内容もよくわからず
第一から第五号議案まで、議長さんの司会進行に、ついていくばかりだったが、
そのくせ、会場を埋めた47人の参加者の表情、容貌に惹かれて、
また参加者が着ている思い思いの洋服にうれしく安心と共感をおぼえて、
さほど退屈にならずに腰かけていたわけだった。

女の人ばかりの各代表参加者は(男性は一人だけ)、
なんといえばよいのだろう、
個性的で、上記の詩のオノマトペのように、めずらしく自然なのだった。
この人たちは、なが年の食をめぐる粘り強い活動によって、
従来の日本人の無個性から、
しっかりと自然で、立派な個性を獲得したらしいと感じた。
集団として、である。

あめは ざんざか ざんざか ざんざか
ざかざん ざかざん 
つぎから つぎへと ざかざか ざかざか

こんな引用はおかしいけれど、
彼女たちの意見と質問と答弁と議事進行のありようには、
この詩が一番かもしれないと、
思い出してはそう思う。

・・・くらしをかこんでたたく言葉だったからだろう、きっと。