2018年7月18日水曜日

神保町で



大学時代の友人に、信山社あとのカフェであう。
約束がすらすらと成立して、間違えずに会えたのは、
彼も私も、書物からはなれない人間だからで、
私たちは、50年も、この小さな街を離ればなれに彷徨っていたのである。

信山社は岩波の本を売る書店で、格調が高く、それが売りだった。
ところが岩波のブックセンター・カフェになったら信山社の雰囲気は消失。
「神保町」という名の地下鉄駅ちかく。岩波ホールのそばという幸福な立地。
それなのに、予算がないという作り方で、内装になんのセンスも感じない。
本が並んでいても、岩波の本だぞというかつての誇りは、もうない。
岩波書店側の予算の都合で店をつくるなんて。
むかしの名前で出ています、といわんばかりの残念至極な上から目線だ。

信山社の、岩波の本だぞ、という迫力を私たちは愛した。
だから神保町に行くと、必ずその主張の空気にさわるわけだった。
それから千変万華の本の街に彷徨い出る。なにも岩波の本だけが本じゃないから。

もうそういう時代じゃないとメディアは安直にニセ情報を垂れ流す。

そうかもしれないし、しかし、そうじゃないのかもしれない。
神保町は今でも、書物なしには生きていたくない人々の街だ。
書物に埋もれて落ち着きたいさまざまの人に、少し歩けばすぐあえる街、
話をしなくても、孤独なまま、孤独だということに癒やされる 、

幾多の本棚に護られて神保町は今でも、・・・そういう無言の街なのに。