2018年7月9日月曜日

スリー・ビルボード・メモ書き。


最初、このアメリカ映画がきらいだった。
身近な、凄まじいパワーハラスメントを行った会社員そっくりの下級警官。
娘をレイプされ焼き殺された母親が、なんとこの差別暴力サイコ野郎に共感、
ふたりして、軍が隠ぺいした真犯人を、ぶっ殺すかもしれないけど、
もしかしたらそれはやめるかもしれない。
とそういう結末に我慢ができなくて。不愉快で。

次の日、もう一度みる。・・・するとそんな映画じゃなかった。
世界は現在、結末もなにもふくめて、この脚本の通りではないか。
「スリー・ビルボード」は現代を寓話化、この映画は鳥獣戯画なんだ。
マキシム・ゴーリキイの「どん底」を下敷きにした理詰めの脚本。
母親による大看板(ビルボード)三つ。
「事実」と「責任者の名指し」と「告発」。
憤怒と暴力と偽善を代表する主役三人。俳優は超一流。
気がつけば現代アメリカ全体を完膚なきまでに分析、批判して秀逸。
脚本、監督、俳優にまったくスキがないから、惹き込まれてしまう。
どんなにイヤでも。
スキがないとはどういうことか。
情緒など問題外といわんばかりの人物造形がみものだ。
つまり、
徹底した憤怒は反省抜き。
警官は単純バカで人種差別暴力OK南部型マザコン。
そして警察署長の永遠なる偽善。ダブルスタンダード。
結果右も左も、世界中が偽善にホント好意的。
そういうわれらが世界 ではないかと、この映画はいう。

・・・「あの日のオルガン」の対局にある映画。

宮沢りえ主演の「お湯を沸かすほどの熱い愛」はクロサワの「生きる」が下敷き。
名優志村喬の市役所役人が、宮沢りえの場合お風呂やに変わっていた。