2011年10月26日水曜日

ランキン・タクシー


明治公園で行われたデモの日、
ランキンタクシーというヒトがいると初めて認識した。
息子といっしょだったからだ。
ランキンタクシーが出る(舞台)ならきてよかった、本当によかったと彼はにっこり。
大江健三郎さんも出るんだのに。彼の卒業論文は大江健三郎論だったのに。
「なに、それ? 知ってるヒト?」
大群衆の中だ、私にはランキンタクシーという音がとれない。にほんごか、それ?
「なんだって?」
ロックの世界の大物で、尊敬しているんだとかなんだとか。
息子ときたら、デモ行進が出発し始めるころ、
前方の舞台めがけてジャンジャン歩いて行ってしまう。
アナウンスがあって、
舞台にランキンタクシーが登場、いまから歌うとわかったせいだ。
こんな六万人もいるところで迷ったら、なにがなんだか判らなくなってしまう。
私は友人と、もうしょうがなくて群集をぬって息子が消えた方角へ進んだ。
原発反対の会場で、労働組合の旗の下をくぐって舞台の真下に行くなんて。
しかもロックの王様にむかって突進しているわけでしょ?
なんだかこう、こんなのってありなのという気持ちだった。

でも私たちは舞台近くに歩いて行って本当によかったのだ。
ランキンタクシーは、その日、圧倒的にすばらしかったから。
会場の遠くにいたら、マイクの調子はおかしいし、ご縁もできなかったろう。

後日、私はインターネットで、もう一度ランキン・タクシーの歌を聞いたし見た。
友人が私のパソコンに映像を送ってくれたからである。
こんな見事なものがある、と知らせたくて、私が若い友達に送ったメール。
「ユーチューブでランキン・タクシーを検索すれば『誰にも見えない匂いもない2011』
というのが出てきます。それ以外に非常に下品なパフォーマンスも出てきますが、
決してそれは見ないようにして下さい。かしこ。」
すぐに返事をもらったけど、それがおかしい。
「見るなと言われると、見たくなるじゃないですかぁ。」