2011年10月9日日曜日

ざわめく心


先週まちがえたので、またも下北沢/THREEへ。
ライブである。
フージーロッ久(仮)   SEVENTEEN AGAIN   DIEGO

三つのロックバンドが競演。
いい集まりだった。

大学時代に読んだセルゲイ エセーニン(ロシア)の詩を思う。   

花よ、どうしてお前たちを愛さずにおれよう?
できるものなら、お前たちと仲睦まじく酒を汲み交わしたいものだ
においあらせいとうともくせいよ、ざわめけ
私の心に不幸がおこった
私の心に不幸なことがおこったのだ
ざわめけ、においあらせいとうともくせいよ

エレンブルグはエセーニンと同時代の作家だが
大著「人間・歳月・生活」のなかでエセーニンの詩をこう説明している。

においあらせいとうともくせいが樫や菩提樹のようにざわめくことができないことは
だれにもわかっている。それにもかかわらず、この詩はすばらしい。
が、さてなぜすばらしいかとなると、説明不可能だ。
そういうものが詩というものだ。


不幸に対して大胆に向きあおうという心と、向きあえない心とがある。
今日、私はむねがいっぱいになった。