2018年8月18日土曜日

山登敬之氏の書評



オランダの遥からメールがきて、精神科医の山登さんがフェイスブックに
レビュウを載せてくださったからと、私の携帯電話に転送してくれた。


                  *
オレの夏休みの課題図書、ちびちび読んで終戦記念日にようやく読み終わりました。
『あの日のオルガン~疎開保育園物語』(久保つぎこ著、朝日新聞出版)。映画化に
際し36年ぶりの復刊であります。
敗戦の前の年、1944年4月に幼稚園閉鎖令が施行され、同年8月からは小学3年
生から6年生までの集団疎開が始まるのだが、保育園は「戦時託児所」と名前を変え
数を増やした。就学前の幼児の「疎開保育所」が地方に開設されたのは、終戦のわず
か2か月前、東京大空襲の後であった。

そんな時節にあって、44年11月に幼児疎開を単独で決行した民間の保育所があっ
た。戸越保育所(現・品川区)と愛育隣保館(現・墨田区)である。このふたつの園
から幼児53名と職員11名(うち保母8名)が、旧国鉄桶川駅から6kmはなれた
高虫の荒れ寺を住処にするべく移住したのである。

幼くして親元を離れた幼児は3歳から5歳、親に代わって子どもたちの保育にあたる
保母は19歳から27歳。日々の激務と負わされた責任の重さからか、終戦までの約
9ヶ月間、保母たちは全員が無月経であったという。
童話作家であり新劇の女優であり3人の子を持つ母親であった久保つぎこは、丁寧な
取材と調査を重ね、3年の歳月をかけてこの本を書きあげた。登場する人物、とくに
若い保育士たちが活き活きと描かれているのは、著者の経歴と経験によるところが大
きい。インタビューの言葉ひとつひとつにリアリティがある。

内容が内容だけに反戦・非戦の想いがこめられているのは言うまでもないが、読み進
むうちに、子どもを育てること、子どもが育つこと、人が生きることの根本を問われ
ている気がしてくる。
疎開保育園の子どもたちは、終戦の日まで全員無事であった。しかし、その中には1945年3月と5月の東京大空襲で、親きょうだいをすべて失った 子どももいた。
そして、疎開せず東京の親元で暮らしていた幼児たちの、いったい何人が戦火に焼か
れたことか。
本書の原題は「君たちは忘れない」だったそうである。忘れないだろう。忘れてほし
くない。私たちも忘れない。世界に平和を。Love& Peace。

                   *


(冗談だけれども)
   この書評を読んでから、順序良く書けばよかったなーと。
 現代史の発掘調査腕っこきの、橋本進さんが、私にはついていたのですが。
 当時のあの書類と資料の山、わけても東京大空襲関連の本の大きさ重さ。
 ひりひりと、仕事が手につかない絶望感。歴史上の事実を整理分析できない
 つらさ。なんとかしてふてくされるのはやめよう、もう書いちゃったんだ、私は。