2013年8月7日水曜日

7/26 野呂記者にきく


「原発問題あれやこれや」。
東京新聞の野呂法夫記者に直接質問を、と計画した会が終わった。
会にいたるいきさつも内容もたいへんだったから、
私なんか終了後に病気みたいになってしまった。坐骨神経痛で歩けない。
歩くと、暑いし空気は悪いし、ぐったりしちゃって、まー、人並みに疲労困憊。
みっともないことである。しかし、万難を排した甲斐あって、参加者50人。
みんなが集まって、直接疑問を解決しようという試みはよいものだった。
自分の耳でじかに事実をたしかめることって、勇気をもらえることだと実感した。
野呂さんに来ていただいてよかったのである。

今回の集まりはみなさんの協力で、参加者がなかなか多彩であり、
自然であり、もの優しげだったことがすばらしかったと思う。
老人もいれば子どもの親もいる。
ながいあいだ反原発運動をしてきた人もいたし、
こういう集まりは初めてというひともいた。
地元のひともいたし、町田や相模原から、八王子からきたひともいた。
男性もいたし女性もいた。宗教者もいたし、私なんかはじめて見るひとも多かった。
ふつうの金曜日の午後だったというのに。

会場の準備や、空調の不具合、わかりにくいプロジェクターの操作、
いつもなら困るのに、今回はそういうことに強い人がいて、
集まったひと達と野呂記者のために、当然のようにずっと配慮してくれている。
ホッとして、私たちの気持ちは和んだ。
私たちとはなりゆきで講演会を主催する破目になった三人である。
年寄りで孫がいて。むかしは教師で。そしておなじ団地の住人で。
その三つが主催者三人の共通点なんて、おだやかでいい感じでしょう?
私たちがヨコに並べば、三匹の?老女なのだ。
そこに、出席の通知のなかったお方が四人連れにて、準備も始めていないのに到着。
カン違いして早く着すぎちゃった、と笑っておっしゃったのである。
四人ともにこにこ。
「うわーい、うれしいな。これで今日一日が幸運だって決まったー!」
クヨクヨ、不景気な予想ばかりたてていた私だけど、とたんに陽気になっちゃって、
はははは、ゲンキンとはこのことである。

しかも、というとおかしいが、
講演をお願いした東京新聞の野呂記者がめったに会えないような優秀な方だった。
never give up  とはこういう態度の人をいうのだろう。
午前中に印刷したから知ってるんだけど、
こんな小さな集会のために野呂さんは、多忙の真っ最中なのに(選挙と転勤!)、
私たちにあわせてレジメをつくっている様子だった。
最終訂正文が私のパソコンに送られてきたのは講演の日の午前一時すぎだった。

原発の事故は言うまでもなく全人類の生死を左右する巨大災害である。
人災である。なんだか悪いことばかりの聞き恐ろしい事故だ。
どうにかして事実と向き合おうとすればするほど、
心のなかの不気味な暗黒が巨大化して手に負えなくなってしまう。
講演会を開く場合、それがネックだし、うとまれる理由だと思う。

・・・講演がはじまって一時間ほどたったところで、野呂記者にメモを渡した。
「ここで一息いれさせてください」
失礼だと思ったけれど、アタマがつかれちゃったのである。
司会の私の眼にも、会場のみなさんの顔が、もう途方にくれてみえる・・・。

以前、わが団地の鶴三会の席上、耳にした意見。
「これ以上、原発について、いま僕が知っている以上のことはききたくない。
どうでもよいとは決して思わないが、
数字のことやシステムのことを、もうこれ以上知っても仕方がない。
原発なんていうものは、本当のことをいえば、元来あってはならないものなのだ。
いま、私が知りたいのは人間のことです。
例えば、なぜ政府や東電は本当のことを語らないのか。
あるいは、原発のない社会は真実可能なのかどうか。」
私は集会の成功って、話をスカッと整理することが重要かもしれないと思っていた。
こんな具合に。

しかし、である。
そうかといって原発事故そのものについての説明報告を避けては通れない。
今日の会の主題は「原発あれやこれや」なのだ。

いったいどうすればよいのか。
ここでケリをつけて、講演としては不十分かもしれないが、
会場にきてくださった人たちとのやりとりに移ったほうがよいのだろうか。
司会者には進行状況を判断する責任があると思うが、
いったいどうすればよいのか、なかなか決められない。

野呂さんは話しながら私のなぐり書きしたメモを読み、たちまちすーっと話をおさめた。

遠慮しいしい何度か野呂さんとメールでやりとりをし、集めたみんなの質問を送り、
さっきの発言についても、こう思うとたどたどしくお伝えしてあった。
それが野呂さんにわかってもらえていたのだということに、
もうすごくびっくりしてしまった・・・。

そこで私は、会の流れを「会場の参加者と野呂記者の一問一答」に切りかえたのである。