2013年8月12日月曜日

海に行く一日


葉山は一色海岸。
4才の時ここから離れた。よく出かけて行く。
昨日梅が丘へ行き、用事が終わってふらふらと環八沿いの神戸屋へ。
朝食けん昼食のサラダバー・ランチ。
うちに帰るか、予定がない日だからどこかに行くか。
私は具合が悪くなっちゃって気分がわるく、決心がつかない。
それでもせっかく環八にいるのだし、踏ん切りわるく第三京浜へ。
この際だからやっぱり葉山へ行こうと。

着いたら葉山は渋滞、「満車」「満車」の表示ばかりだし人だらけだった。。
夏だから当然かもしれない。
「そうか、夏は来ちゃいけないんだね、日曜なんて特に」
息子が運転しながら感心している。
森戸海岸がことに混雑、そこを抜けても混みあって、どうするわけにもいかない。
それじゃあと、道なりにまっすぐ城ヶ島をめざしてクルマで走ると、
対抗車線がそら恐ろしいような帰宅渋滞だ。なんでまだ二時半ぐらいなのに帰るの?
これじゃ帰りがこわいなと思っても一本道を引き返す決心がつかない。
どうにでもなれとノロノロ。こっち側も渋滞なのだ。
のんびりは楽しい。
畑でスイカを売っていた。
買おうかしらとヒマなので考えるけど、あんな巨大スイカ。
冷蔵庫に具体的に入んないわよねー。
買ったあと、またクルマの行列に割り込むのも億劫。
できない・・・。

城ヶ島にやっと着いた。
暑い。クルマから外にでるとたちまち汗まみれになる。
私は息子をながめてふきだしてしまった。
熱気にぶん殴られたようにボロボロ・・・。
空気はすこし澄んで軽いかなー、たとえ熱気がすごくても。
公園の道をとぼとぼ歩き、思い切って展望台のわきの切り立った崖道を下る。
海は悠々広々。ゴツゴツした崖の下で、みんなが遊んでいる。
波が寄せては返す海水のきれいな場所にやっとこさ腰かけた。

私の息子は私が教育をあやまったせいか「不自然」がTシャツを着たような奴で、
崖だの海水だの努力だのがまるでダメみたい。
腰痛の後遺症でろくに歩けずグラグラしている私を、
「しっかりしろ」とか「大丈夫か」とか、励まそうなんてユメにも思わないんじゃないの。
城ヶ島に到着するや、自分の方がすぐさま暑気あたりでフラフラし、
岩場ではサンダルの足が小石ですごく痛むふう、身体もこちんとこわばって不自由そう。
私のあとから降りて来るけど、崖を滑ってごろごろ落っこって来るかと見おそろしい。
「そういえばあんたって苦手だったわよねー、こういうの?」
あきれてたずねると、
「オレ、ハッキリ言ってこういうのホント苦手だから。お、落ちるから、か、必ず・・・」
恐怖ただようワザトのウラ声に怒ることもできない。

それでいて彼はむかしから海が好きなのだ。
「・・・きれいだなあ、やっぱりいいなあ、ほんとに海は」
ヤドカリを手につかまらせ、海水を気も長くずーっと眺めていたりする。
すごく小さなヤドカリは、中にだれもいないんじゃないかと思うほど小さい。
そして澄んだ海水を貝殻の中いっぱいためている。

着替えはもってきた。
温泉に行っても平気だし、洋服のままで海水につかっても平気である。
べつにただ着替えればいい。タオルも石鹸もある。
城ヶ島公園には水道もある。
見回すと、そうやって遊んでいる人がけっこういた。
私は岩にからくもつかまって海中の砂地に立った。
波の音がいい。ジャッブーンとびしょぬれになったけれど、解放感でいっぱい。
魚もいるし、カニもいる、岩はフナ蟲だらけで繕い物のようだ。
緑や赤の海草がまるまって流れてくる、花のように浮かんで沈む。
涼しい。楽しい。海はやっぱりすごく気持ちがいい。すばらしい。

ねえ、なんでこの海に放射能の汚染水を放出しつづけたの、と心は思う。
自民党さん、なんでそんなことして平気でいるの。
小さい子が夢中になって遊んでいる・・・。お父さんがカニの採りかたを息子に教えている。
むこうのほうでは、あわいピンクの浮き輪が楽しげに波にゆれている。

帰るとき。やっぱり渋滞。やっぱりさっきのスイカを眺めて買わず。
でも往きよりは一色海岸が空いていたから、すこしさがしてパン屋のレストランで夕食。
いつかのむかし、長男がここに就職したらと見に来たこともあるパン屋だけれど、
どんな理由だったか、職人たちの顔が暗いというような。
クルマでの帰り道。
朝から長い一日だった。それが疲れたとこんどは近くの温泉へ。
行き当たりばったりの罰あたりみたいな一日を、またまた延長、さらにずるずる。
まーいいや、明日からまた忙しいんだから。

海ほどスカッとする場所はない。自然ほど気が休まるものは少ない。
人間なんてそんなもん。海を勝手に奪うな資本家。
あんたの子孫だって海水浴をすれば放射能まみれになるのよ。