2013年7月22日月曜日

7/18 鶴三句会


春の句会が、さまざま延びて、今日三回目の「季語は春」の会。外は炎天なのに。
31番から48番までの17句を楽しむ。
あらヘンだ、これはダレの句、オレの句かという感じ。忘れてしまっているのである。、

パタパタと梢を見れば凧哀し

おかしいなこれはええと、ヘンだな、イヤしかしやっぱり・・・。
「たしかワタシがつくりました」と言いつつ、細田さんはまだ首をひねっている。
凧(たこ)哀し。哀しくない。おかしい。自分でも笑っちゃってる。
なんたって4月25日から持ち越して、それでどうしても最後までやろうというのだ。
トシをとるとなんかこう、やめられないのよね途中では。

故郷(ふるさと)の街なつかしきリュウジョかな

村井さんの句である。リュウジョとは、春、柳の熟した実から飛ぶ綿毛のことで
むかし読んだパール・バックの本にたしかそんな場面があったなあと思い出す。
大陸にいた方ならではの郷愁というものがうらやましい。
子どものころ。学校に通っていた道。異国の街一面に舞い散る綿毛。
さて、今日は(というか三ヶ月前には)、流れるようにきれいな句がいくつか。

嵐去り花に埋もれる古寺で待つ
永き世を慈しまれし雛飾り
大木を伐る老師いて春来る

嵐去り、は小林さんの句である。
小林さんは作句にあたってはヒネる?のだ、それもイミシンに。
嵐のあと散ってしまったかと心配したけれど幸いにも古寺の桜はまだ満開、
その花の下である人に「会う」・・・よりも「待つ」のほうがいいかしらんなんて沈思黙考。
つまり遊んでいるわけでしょう、俳句をつくりながら?
「いいなあ」と宇田さんが、苦味ばしった声で、
「こういう境地から離れて何年にもなるけど、ワタシなんかはねっ。
いやすばらしい。こういう句を作る人はあと三〇年は大丈夫ですよ、羨ましいまったくねっ」
ええと、そうなると百才まで生きるということかあ。
ちなみに小林さんが作成中の防災ノウハウの文書はすばらしい。
具体的で、読んでもめんどくさくならない。イザという時の備えに自分も用意してみたくなる。
つまり頭もとてもいいわけで。・・・そう、あと三〇年たっても小林さんは写真を撮りつつ、
思いがけなくもイミシンな句をおつくりになっているのかも、ですよねえ。

私ごとで恐縮であるが、
季語にまつわる評を三國さんからおききするたび、キッと平野さんのほうをにらむのが
私の句会におけるなんとなくの愉しみである、だっておかしい。

大人びた年長さん孫の声

誰かの遠慮がちな、これには季語がありませんよねえ?という声に、
まさかこれはちがいますよねと平野さんを見る。
三國さんがにこにこと、「売るほど豊富な季語をお持ちの方が」って。
やーっぱり平野さんなのがおかしいじゃないですか。
曰く、おれは季語のデパートだと言われたからさあ、今度のは問題提起なんだよ。
それで季語なしに挑戦。ケッコウですよねー。

散りかけて桜吹雪が川に舞う

これは永瀬さんの句。可愛らしくて素直である。
見たままだから、ああ多摩のあそこのあの川だろうかと微笑ましい。
三國さんがおっしゃるには、こういうとき、「とのぐもり」をつかうとよいと。
とのぐもるとは、雲がたなびいて曇るさまである。
「僕らはこまるとよくつかうんですよね」
ふーんなるほど、そういうことかもしれない。
・・・とのぐもり桜吹雪が川に舞う、
そうなれば、説明のつかない屈託がこの景色に加わって、風景が情景となる。
たとえば私などは、ああ灰色だ今日も明日もいいことは無いだろうとズーンと暗くなる。
いくら桜が咲いていたってそれもわびしい人生の象徴のように思えてしまう。
なにを隠そう、私は鬱的人間なのだこれでも。

ふいに咲き白さ目を射る雪柳

私も春は鬱になり易いんです、と川上さんが。
「自分としては春を迎える心の準備がまだなのに。
あの花ってある朝、突然咲きますよね、ぱーっと白く葉が緑になりかかると同時に咲く。
まだ春を早すぎると思わせる花なんです、私にとっては。
うわっと咲いちゃって。」
あーあ。私なんか18号棟の向かいの芝生の雪柳をみると、
そろってないぶかっこうだとそればっかり気にする。
春と自分のカンケイなんかもちろん考えたこともないのだ。
反省していたら、植栽二大老の笑って曰く
「わたしらは、蕾の具合で、これはあと2,3日でぱっと咲くなとわかってて待つからね」
人生はかくのごとく深くて広いものなのであーる。

「詠む聴く半々。おなじようにできることがだいじとはよく言われることで。
川上さんはそれがおできになる、大変けっこうです」
そういう三國さんのお話が興味ぶかく思えた。しかし。
川上さんや小林さんに備わっている、わきまえとか心構えとか意味深長とか、
そういう奥床しいものが自分にはなにひとつないって変じゃないの。
いったいどういうわけなんだろう、親のせいか。
三國さんは、童話俳句をめざしたらおもしろいのでは、と私に言われる。
あなたは童話的感覚だからと。
たぬき?きつね? オランダの羊?