2014年10月1日水曜日

リンク・・・鎖の輪、連結してしまうこと


パソコンを買い替えたら、Windows8とかいうものだった。それまでの7(セブン)タイプも
けっこうワケがわからなかったが、8(エイト)になったら、もっとわからない。

進化すると複雑・不必要・不便になってしまうのである。
こんなことは昔はなかった。
機械の進歩は私にとっては、使い勝手がよくなり、より安くなるということだった。

まあ、いいや。
国家をあげてみんなが会社の味方で、消費者はカネを払う家来なんだろう。
買って一年未満のパソコンが壊れ、修理にだして、そういうことかともうビックリ。 

販売店のルール。
NECのルール。
修理をまかされているNECの部署だか枝葉の会社だかのルール。
もう全部がそれぞれ手前勝手な規則で自分たちを防御し、会社側の理屈で固まっている。
そういう手前勝手や横暴を許さないためにこそ、国家が必要だったわけだ。
でも、いまごろになって気が付いたってダメなんだ。

スマホはヤケに小さいパーソナルコンピューター(PC)だという。
操作がわかる人にはすごく便利なものだろう。
パソコンって、たぶん株式会社の脳味噌を動かすようなね、
いわゆるシンクタンク機能をもつものなんでしょう。
なんでそんなものを一億総出で買わなきゃいけないのかわからない。
たいていの人は、ゲームとメールとご案内しか必要としていないんじゃないの。
私の場合でいえば、必要なのはワープロ機能だけだ。
(ワープロは、市場からたちまち消え失せた)

私たちは山ほど機能をしょったほとんど使わない御用キイに、莫大なカネを払い、
友人・のようなものとの絆や、自己の消滅のために、パソコンのリンク(鎖の輪)に加わる。
  
私たち個人は、会社というわけじゃない。

今では、すこしづつパソコンの便利をおぼえて、映画の上映時間などを器用にさがしたり、
旅館や飛行機やを居ながらにして指定したり予約したりするようになったけど、
そんなものがなくたって、ぼそぼそ、もさもさ、やっていくことでも足りるのではないか。
不便なほうが、それ専門の人が生きられる。雇用も激減しない。
私たちふつうの人間の一日の時間は、ホントウなら個人的なものだ。
少しぐらい予定がズレたって単純にカッとなっちゃいけないのだ。
手間ヒマを惜しむと、見えてくる風景がちがってしまう。
もともとの人間が見えなくなってしまう。

ことさらいらいらする自分を、どうにかできないものかしら、まったく。