2014年10月14日火曜日

ブラジルからきた女の子


S市に出かけた時のこと。
駅まえの広場で案内所に行き、バス停の場所を尋ねた。
バスは一時間に一本。
指さして教えてもらった停留所にはベンチがあり、
黒ぶちのメガネをかけた、若い女性がパンをしきりに食べている。

私は駅周辺のがらんとした広さに馴染むことができず、ぶらぶらと歩いた。
S市の中央駅なのに、ロータリーを起点にのびる通りも左右に見えるのに、
人かげはまばら、お天気がよいのにとりつくしまもなくカラーンとしている。

時間はお昼をすぎて、もう二時ちかく。
予約したホテルは東名高速のインターチェンジを出てすぐのところだが、
付近にレストランや喫茶店がほとんどない。
ホテルも、「朝食以外提供いたしておりません」とさっき言われた。
あずけた荷物の中に、朝の残りのおにぎりがある。
あれを昼か、夜のどっちかの食事にしなくちゃならない。

なんとなく、奇妙におもしろくなってきちゃった。
ダシール・ハメットのフィルム・ノアールの中なんじゃないのこれは、というような。
空虚な立ち往生というのがめずらしくて、愉快にちかい気持ちである。
「バスの時間を調べましょうよとにかく」
と私は私に言う。

バスの時刻表の読み方が絵図面みたいでわからない。
あいかわらずベンチでパンを食べている女の人にきいてみる。
「すみません、あのう、この時刻表はどうやって読むんでしょうか?」
彼女はひるんだ顔をし、
「さあ、ワタシには。これは一時間に一本しか、ここのバスはきません」
外国人なんだ。私は漠然とあたりをみまわして、ついきいてしまう。
「知りませんか、どこかちょっとおいしい食事ができるところ?」
相手は一生懸命な表情になったが、お手上げらしく、
「さーあ・・・、そこの、あの店ならば、カレーライスが食べられますでしょう。」
さっき見て、カレーねえ、と迷った店だった。
「うーん。カレーライス?」
朝ごはんを食べたきりなのでお腹は空いているんだけど、などと私は言う。
外国人ではあるがここS市に住んでいるらしい彼女に。

やれやれ、旅行用に持ってきた長い題名の本。高峰秀子賛歌のおもしろい評伝なのだが、
私ときたらさっきから高峰秀子氏に軽蔑されバッサリ切られるような態度ばっかり。
「他人の時間を奪うことは罪悪です 」
ベンチで一心不乱にサンドイッチをパクついているヒトの時間を奪ったし。
「人はあんたが思うほど、あんたのことなんか考えちゃいませんよ」
その通りだよなー。カレーは今食べたくないとベンチの他人に言ったりして。

まもなくバスがブーっときてガタン・キューウッと止まった。
運転手は世にも仏頂面な金髪あたまの女子だった。
私は前方の座席に腰かけ、さっきの女性は後方の座席に腰かけた。
ひっそりと、体の具合のよくなさそうなおばあさんが乗ってきた。
こわごわときけば運転手は、もう金輪際笑わないよという強張りかたで、
「イダサカイ」にこのバスはとまると、請け合う。

時間の調整なのか、バスはなかなか出発しなかった。
なにを思ったのか、さっきの女性が私の横に移動してきた。
私はうれしいと頷いて挨拶のかわりにし、彼女は彼女で内気そう微笑んだ。

紙の袋から一生懸命になって食パンをとりだし、たどたどしく
あのう、と言うのである。あのう、サンドイッチたべませんか。ハムとチーズありますから、
サンドイッチできますから。パンもみんなスーパーで買ったばかりですから。
さっき私がお腹が空いていると説明したせいなのだ。
持ってきたお握りが食べられないからと、ことわったのが本当に残念だった。
あんなに彼女の親切がうれしかったのに。
私は最近、そんなにたくさん食べられないのである。

バスがすごく幅のひろい川を渡っていく。ええと確か、この川は有名なはず。
橋を渡り終わると果たしてたもとに看板があって、やっと思い出す。
大井川である。・・・そうか、越すに越されぬ大井川だったのだ・・・。

大河とも言いたいほどの悠々たる川は、川そのものが昔はもっと美しかったのではないか。
水も川辺も。生き物のように。
コンクリートで整えたり、危険防止の始末がしてある、というだけじゃなくて。

「・・・あなたは外国人ですよね?」
私は通路の向こうの彼女にきく。
「そうです」と賢そうな目が微笑んだ。
「どこのお国からいらっしゃったのですか?」
「ブラジルから」
彼女のさっきの親切がうれしくて、私は通路ごしに手をさしだす。
「ようこそ。親切にして下さってすごくうれしかったです。本当にありがとう。」
びっくりしたような顔をして、でもすぐに、彼女もあたたかくて柔らかい手をさしだした。
私たちは、握手する。
彼女は私の行く先がイダサカイだとわかると、よくわかるという顔をしてうなづいた。
「あなたのホテルは」とたどたどしく彼女は言う。
「ワタシがハタライテ いるコンビニの、ワタシがいるホテルの部屋のとなりです」

コンビニがバスの窓から見えた。その隣に何週間か前に私が予約しなかったホテルがあった。
そのホテルの別館もあった。
そこに彼女は今住んでいるのだろう、と思う。
私が降りるイダサカイの停留所はその次だった。