2014年11月11日火曜日

鶴三会・句集発行!


句会が誕生して二年が過ぎた。
それで、そろそろ句集をなんて話が出て、自然とそんなふうな成り行きになった。
みんなで一緒にやることだから、私もくっついて行く。
俳句が苦手なので、「くっついて行く」意識がどうしてもつよい。
日頃、くっついて行くことが少ないので、これってけっこうラクかも?とうれしい。

約束が順調にまもられて、小林さんがパソコン相手の原本作成作業。
「 ああ、たまらないだろうなー、私が小林さんだったら 」と思ったんだけど、
鶴三会はなぜか、できないことを引き受けてくれる人の宝庫であって、
とうとう句集を参加者それぞれの手をつかって、和紙と紐で綴じる日がきたのである。
何時間もみんなで、教わりながら、なんとしても和綴じしようと四苦八苦。
今日に限って参加できなかった宇田さんと中村さんの話が出る。
宇田さんは山へ中村さんは病院へ。 残念だけどしょうがないけど残念だ面白いのになー。

できあがって何日かが過ぎると、不思議な気持ちになってきた。

表紙を和紙にしたのが大成功で、まず紙のやわらかい感触が、
句をよせた人々の二年にわたる努力や人柄をリアルに思い出させるのである。
そんなことは思ってもみなかった。みんなで句を作り、綴じることをしたからなのかしら。
つい置いてあると手にとってしまう。
活字になるとひときわ映えるものだなーと、ヒトの句を読んではおどろく。
それぞれのコメントを俳句のまえに置いた編集がよい、と読んだ人がほめてくれた。
そう思って読み直すと、たしかに編集がいい。
わるいところがすぐには見つからない!!

この憂き世にあって、この雰囲気。

なんだか、もしかして、と思う。
私がある日、死んでしまったとしてと、そんなふうに想像するのである。
あんな人がいたなあと、だれかが思い出してくれるのかもしれない。
ゆっくりと、のんびりと、たのしく、仲間だったなあと懐かしんでくれるのかもしれない。
さすが老人会、たいした努力をして一生懸命だったころには、思いもよらなかったユメだ。
三國さんにきいたら、三國さんもおなじようなことを思うとおっしゃるから、
老人会って、いいものなのかもしれない。

そう思って作ったわけではない句集が、ふしぎな船着き場に漂着して感心である。