2015年11月1日日曜日

ブルー・ポピー


電車に乗った。昼間のことだから、みんながのんびり腰かけている。
向こうの座席へと歩いて行く女の人をみるともなく見ると、
左の顎に淡い紫いろのアザがあった。右の頬にもたぶん変色がある。
病気なのか、それとも夫に殴られた跡なのか。
小さなパンジーの花のような、それでいて顔色のない人だった。
落ち着いた雰囲気の地味な身なり、黒くて光らないブーツ。
どこへ行くのかしら、寂しさのほかになんにも見えない顔をして。
一切の救いを期待しない、あきらめて乾いた姿だ。
病気でも人はさびしい。
殴られたのであれば病気のように人はさびしい。

私の隣の座席の青年を、向い側の老人が驚いたように見ている。
電車に乗ったとき、目がびっくりした気になった30代の若い人だ。
自然なのか不自然なのかぜんぜんわからない。
スマートでりっぱな体格、カジュアルな秋の身なりがきれいな若者。
アタッシュケースを抱えスマホを手に、ガムを口に入れようとさっきから苦労している。
一点異様なのが、口紅を塗っているらしい(!)ふっくら赤すぎる唇。
・・・ふしぎな人である。
これがお話のなかの電車なら、かれはモンシロチョウの王子のひとり、
王様に命じられて、キャベツ畑の国に化粧品のセールスに行くところ・・・。
それでも人間だと、いったいどんな苦し気な話になってしまうのか。

21世紀の各国は、 たとえ日本のように奇跡的に戦後70年を謳歌したとしても、
どこかイビツだし、不自然で、落ち着けない。
さあ、くよくよするのは、やめよう。
金子兜太さんの本に、命の向こうには他界があって、そこはこの世のつぎの世界で、
ふつうのこととして移行すればそれでよいだけのこと、と書いてあった。
ただの続きなのだからおそれず楽しく生きて、さようならも言わないでよい。
ということなら、この世で解決できなかったことは、むこうで解決すればよいのかしら。
金子さんの友人は死んだらこのつぎは樫の木になりたかった。
そうしたら死に顔がとても安らかで立派、あゝこの男は樫の木になったなと、
金子さんには、はっきりわかったのですって。

わたしはブルーポピーの青い色が好きだけれど、あれだと殴られてアザができそう。
そうだこれからは、なにになりたいか、一生懸命にさがして、
さがす合間に、できることをすればいいんじゃない?