2016年5月8日日曜日

網戸屋さん


網戸に穴ができて、しまいには指を突っ込んで引っ張り、べリベリとはがすほどに。
見るといらいらする。夏がきたらこまる。
蚊だとか蛾だとかセミまで飛んでくるのだ。
でも、網戸を修理してくれる、いい人、がみつからない。
宣伝のチラシがどこにいったかも、今となってはわからない。
それに私にとってチラシはダマシ、
なーんか昔風な人柄のよい職人とは逆のイメージである。

しかし、とうとう伝手をたどって、教わった電話番号をポンポン、ポンと。

電話にでたのはセカセカした、何かが喉にひっからまったみたいな声の老人で、
私が用件をいうと、「・・・今日はいるの」ときく。
機嫌が悪そう、ガンコかな。
見積もりをしなくちゃ 、というのである。

4時までに行くからと言われたのが12時半だった。
失礼があっちゃいけないから、掃除をはじめる。
ガラスも拭いたし、網戸のステンレスの枠も拭いた。床も階段も雑巾がけ。
そうしていたら、案の定、もうピンポーンとうちの調子のわるいベルが鳴る。

すっ飛んでいって玄関の扉をあけると、淡い草色のだぶだぶした作業着、
眉毛をたえまなくしかめた、だけど童話みたいなおじいさんが立っているのだ。
彼は、じぶんの小型トラックと私の家との間を行ったりきたり、
なにをやってるのか私にはまるっきりわからなかったけれど、
それでようやく「入ってもいいですか?」と私の眼をみた。

あとで考えると、作業台をトラックから降ろして、藤だなの脇に据え付けていたのだ。

うちの二か所の網戸がはずされて、外で作業が始まった。

おじいさんは、・・・・私だっておばあさんだけど、
「この際、網戸のなおし方を習ったほうがいいかしら」ときくと、
ーああ、そうしてください、ときっぱり。
「あらうれしいな、 本当? 本当に教わってもいいんですか?」
あつい陽射しだ。顔いっぱいの汗。
ーいいですよ、覚えたほうがいいよ、もうじきワタシは死んじゃうかもしれねえからね。
「どうしてそう思うの?」
ー4,5日あと入院するのよ、と作業しながら彼は言う。
にがい顔だけど親切でまっすぐ、ありのままが伝わるガラガラとした声だ。
ー大腸ガンやってるからね、ワタシは。検査入院がもう4、5回目ぐらいだから。
多分大丈夫だと思うけどさ。
この仕事もね、あと二年ぐらいで、やめるんだから。
何度も家族にそう宣言したのかもしれないね、妻とそしてもしかしたらおおきな娘に。
「・・・・疲れちゃったの」
ーそうそう、そう、そうだよ!

私はうちに戻り、、健をよび、自分はノートが見つからないから、
古い住所録と鉛筆をもって、作業台のところまで行った。
息子とふたり、網戸張りをちゃんと習う気だ。
「団地の人が自分でやってもうまくできないって言ってた。網がダブついちゃうんだって」
おじいさんは手を休めない。
住所録のうしろの空きページに、私はおじいさんの話を書いた。


     アミをおく。置いたら、
     反対側のアミをみながらだけど、
     「抑え込みゴム」を溝においていく。
     最初の四角い「かど」の10cm手前からはじめる。
     そこがシッカリとまらないと、しまいまでうまくゆかない。

     カドましかくにとれるたらうまくいく。 
     外からアミをていねいにひっぱりながら、
     反対側のアミをみながら、
     あんまり強くひっぱるとダメ

できるかできないか判らないが、これからの人は、
網戸張りぐらい自分でこなさなければ、不自由するだろう。

     抑え込む矢車草みたいな道具を、〈抑え込み用ローラー〉という。
     標準型を買えばよい。
     カッターナイフを寝かせないように、
     45度ぐらいにたてて、抑え込みゴムの外側を切る・・・・。

急な夏日だ、
働くすがたも、話してくれる言葉も澱みないが、なんて精いっぱいの姿だろう。

小型トラックはありとあらゆる古びた道具で、ふくれあがっている。
働くことが苦しくなっていても、頼まれれば働き、他人の役にたつのが当然で、
言葉といえば真実だけ。
おしまいにおじいさんは、奥さんが生きてるあいだはもう修理しないで済むよ、と言った。

網戸のこと? それ、もしかしたら 私の見積もりかなあ?