2016年6月3日金曜日

6月3日なんとなく


ここ数年、毎年のように一年損をして生きた。
年齢をひとつ多くカン違いして生きる。
去年も73才だと思ってくらしたけれど、きのう手帳で調べると72才のはずだった。
なんできのうそれを調べたかとというと、6月2日なのに3日だと思いこんだから。
こういうのを生き急いでいるというのかしら。

どうもそんな感じではない。
思い出すと、去年だって今年だって、ホットケーキが膨らんだみたいなくらしだった。

今朝は誕生日で、こんどこそ73才になったと考えて、目をさました。
手元にある本を読む。まだ5時にならないので。
とても好きな本。一冊はL・デュランの「ダディ―」。
もう一冊は「病気をよせつけない生き方」 安倍徹・ひろさちや。
読むと安心する。のんびりできるぐらいの元気をもらう。
片方は知性肯定の冒険小説。片方は仏教と医学による医薬否定。
何度読み返しても共感するしおもしろい。

起きて紅茶を飲もうとお湯を沸かす。
やめてあれこれあれこれ、やる。庭に水をまいたり。
洗濯だとか、朝食の支度だとか、新聞のコラムの切り抜きも一か月分。
なにしろまだ早朝・・・。
それから「長 新太 の脳内地図」という本をぱらぱら。
調布の図書館の本で、返しそびれている。
この本、なんとか買いたいな。

そのあいだじゅう、広報と議事録と高齢化対策委員会の、
私なりの有言不実行にくよくよし、助けてくださっている人の顔を思いうかべ、
初夏なのに冷え込むなーと、自分としてはふけーきな気持ちである。
この仕事(ただの当番)を与えられなかったら、変化もなくてと空想。

晴れていて、太陽がかがやく、きれいな日。
そうよねえ。 風にゆっくりやわらかく合わせて、無心に一日を送れたら、
いかにも老女にふさわしい幸福の実現なんじゃないの。